0・3差で涙 新体操・喜田純鈴が決勝進出逃す「ここまでの過程に意味、一生の財産」

 個人総合予選 最終種目のクラブを終えた喜田純鈴(左)を迎える劉宇コーチ=有明体操競技場
個人総合予選、喜田純鈴のクラブ=有明体操競技場
 個人総合予選 クラブの演技を終え手を振る喜田純鈴=有明体操競技場
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 「東京五輪・新体操個人総合・予選」(6日、有明体操競技場)

 喜田純鈴(20)=エンジェルRG・カガワ日中=が予選11位。10位の選手に0・3ポイント差届かず、26人中10人が進める決勝進出を逃した。

 「ここに来るまでに辛い練習とかあったけど諦めないで良かったと思いました。独特の緊張感とか、全員の選手がこの舞台にかけている強さ、思いも感じる。立ててよかったです」。中継局のインタビューで振り返った。

 「クールで大人」をイメージし、「金色(こんじき)ラメライナー」こと、金色に輝くアイラインを目頭と目尻に引く、華やかなメークで舞った。

 第1種目のボールは12位、第2種目のフープは14位だった。第3種目のリボンで8位の高得点。最後のクラブは10位だった。残り2人の段階で9位だったが、25番目の演技者に抜かれ10位に後退。さらに最終演技者に抜かれて涙を飲んだ。

 「前半種目はバタバタした感じがあった。後半種目は練習したことを発揮できた」とマスク越しに笑顔をのぞかせた。

 喜田は香川・坂出中1年だった13年に全日本選手権種目別を史上最年少の12歳で制した逸材。当時から「東京五輪の星」と注目されてきた。昨年11月の全日本選手権(高崎アリーナ)で個人総合3連覇。種目別のクラブ、リボン、フープ、ボールも全て制し、5冠を達成した日本のエース。

 今年6月の最終選考会ではトップ通過で五輪切符を手にして、涙を流した。高校時代、将来を嘱望され、ロシアへ留学したが、腰のけがにより帰国。子供の頃から指導を受けてきた劉宇コーチに再師事し、二人三脚で復活した。

 「ここに来るまでの過程に意味があった。一生の財産になると思う」。

 五輪での日本勢最高は84年ロサンゼルス大会で山崎浩子(現日本体操協会強化本部長)が記録した8位。3年後のパリでさらに成長した姿を見せる。

 ◆喜田純鈴(きた・すみれ)2001年1月11日、香川県出身。4歳で競技を始め、12歳で初出場した13年全日本選手権の種目別クラブとフープで史上最年少優勝。高松中央高を経て、現在は国士舘大、エンジェルRG・カガワ日中所属。個人総合で18~20年に全日本を3連覇。身長は165センチ。

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