サッカー日本代表、取材現場の変化
ザックジャパンが、日本時間20日早朝に行われた試合で、FIFAランク5位のベルギーを3-2で破った。先にFIFAランク8位のオランダとは2-2の引き分け。今回の欧州遠征は大健闘したといえるだろう。
しかし、10月の東欧遠征ではセルビア、ベラルーシを相手に連敗。来年のブラジルW杯を前にザッケローニ監督の解任論も飛び出した。ところが、私自身は勝利にも敗戦にも特別の感情を抱かなかった。同じような思いをしているサポーターも多いだろう。日本国外に目を向ければ、サッカーの国際試合は、その結果によっては予想もしなかった事態を引き起こす。1970年のメキシコW杯予選では対戦したエルサルバドルとホンジュラスの両国民の感情がもつれ国交断絶に至り、エルサルバドルーホンジュラス戦争と呼ばれた。また、1994年のアメリカW杯後、アメリカ戦でオウンゴールを献上し、事実上の予選リーグ敗退の要因のひとつを作ったコロンビア代表DFのエスコバルが、メデジン郊外のバーで射殺されたこともある。国内に目を向けても、1998年フランスW杯のアジア最終予選中には、加茂周元監督の采配を巡り、当時、渋谷にあった日本サッカー協会の窓ガラスに生卵がぶつかられる事件があった。フランスW杯で無得点に終わった代表FWの城彰二が成田国際空港でペットボトルの水を引っ掛けられた。その直後に話した私に、城が「結果がでなかったからね。この程度のことは覚悟していたよ」とつぶやいた声がいまでも記憶に残っている。
何も面白がって過激な言動を求めているわけではない。ただ、日本は5大会連続5回目のW杯出場を果たし、かつては悲願だったW杯出場があたり前のような感覚になってしまったのではないか。日本が初めてW杯を決めた1997年11月16日、私はマレーシアのジョホールバルにいた。そのとき、日本のサポーターは、シンガポールから大挙してジョホール水道のコーズウェイを渡り、対岸のジョホールバルに押し寄せた。このコーズウェイは1056メートルの長さで両岸からそれぞれの国が工事を開始し、真ん中でドッキングしたらしい。この際、経済的に恵まれているシンガポールとシンガポールには経済的には及ばないマレーシアとでは橋を作る材料に差があり、つなぎ目を境にシンガポール側とマレーシア側の道路の色が違っている。コーズウェイは通常、バスでも渡れる。だが、試合当日は大渋滞が予想されており、日本のサポーターたちは橋を徒歩で渡り、ラルキンスタジアムにやってきた。ドーハの悲劇から4年。巡ってきたW杯出場のチャンスに、0泊2日の強行スケジュールを組み、ジョホール水道を越えたのだ。
そしてジョホールバルの歓喜に酔いしれ、歴史の証人になった。あのときと今は何かが違う。いろいろな要因はあるが、サポーターと選手をつなぐ記者と選手の距離が、遠くなったことは否定できない。フランスW杯まで、代表はJリーグでプレーする選手だけだった。そのため、選手を取材するには横浜マリノス、鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田、浦和レッズなどの練習に足を運べばよかった。フランスW杯出場を決めてからは、足を運ぶ回数が格段に増えた。そして、練習後にはクラブハウスのソファーに座り込んで雑談にふけったりできた。当時の代表主将だった井原正巳(現柏ヘッドコーチ)とは、今は使っていない「獅子ヶ谷グラウンド」近所のおそば屋さんから出前を取り、よもや話で時間を潰した。その井原の誕生日には仲のいい記者連中で30本を超すロウソクの立ったケーキをプレゼントして分け合って食べた。そんな中で、W杯に対する思い、プライベートの話がポロポロ漏れてきた。当然、選手との距離が近くなる。
もう覚えている読者は少ないだろうが、1998年1月1日付のデイリースポーツの1面は阪神タイガースではなく、城彰二のシュート写真だった。この年ばかりは、デイリーもW杯ブームに乗っかった。「誰か代表レギュラークラスの写真で1面を」という話になり、城にお願いしたところ快諾してくれ、1面のために50発以上もシュートを蹴ってくれた。自慢しているのではない。その当時は、代表のレギュラークラスの選手でもきちんと取材に応じてくれ、読者にプレー以外の話題を提供することができたのである。サッカー原稿にプレー以外の要素はいらない、という記者もいる。だが、それは違う。そのプレーを生み出した選手の内面、エピソードを提供することこそがスポーツ新聞のサッカー記事に求められていることだ。
そう考えると、海外でプレーする選手が多い、今の代表担当の記者は選手と話す時間が限られ、プレーを伝えるだけで精いっぱいなのは仕方がない。だが、そんな記事が読者の共感を得るものになるだろうか。確かに、私もスタンドにいたが、今年のブラジルW杯アジア最終予選の豪州戦は盛り上がった。同点のPKを決めた本田圭佑の精神力には脱帽したが、どこか冷めた部分もあった。ジョホールバルで決勝ゴールを決めた野人・岡野は、少年時代に野良犬と競争して勝ったことがあると自慢したのを聞き、笑いあったことがある。そんな岡野が、日本を最初のW杯出場に導いた。だからこそ、自分でもこみあげてくるものがあった。自分が感動しなければ、読者には感動を伝えるには難しい。批判するにしても、通り一遍のものになってしまう。今は選手各自のレベルは確かに上がったが、顔はみえない。フェイスブックやツイッターの発信はあるだろうが、選手の話したいこととサポーターの知りたいことは違う。確かに、プライバシーの問題はあるだろうが、思い入れを抱くサポーターの熱のこもった応援がどれだけザックジャパンの後押しをすることか。日本協会にお願いしたい。選手とサポーターをつなぐマスコミに取材する機会、時間をもう少し設けてもらえないだろうか。試合後のミックスゾーンで話を聞くだけで、その選手を理解するのは難しい。
(デイリースポーツ・今野良彦)