柿谷、意識を変えた徳島との幸せな関係
柿谷曜一朗が徳島のピッチに帰ってきた。C大阪の背番号8として、日本代表選手として。
3月8日のJ1第2節・徳島‐C大阪戦は、今季J1に初昇格した徳島の記念すべきホーム開幕戦であったと同時に、09年6月から約2年半、徳島でプレーした日本代表FW柿谷の“凱旋試合”としても注目を集めた。柿谷が鳴門大塚のピッチに立つのは、11年11月27日のJ2第37節・鳥栖戦以来、実に832日ぶりのことだった。
試合は前半10分に日本代表MF山口蛍が直接FKを決めて先制すると、同13分にも相手オウンゴールで追加点を挙げたC大阪が2‐0で今季公式戦初勝利を飾った。
発熱の影響で日本代表合宿を離脱、全体練習に合流したのも試合2日前だった柿谷は、本調子には程遠く、後半29分に無得点のまま無念の途中交代となった。左手首に巻いたテーピングを外し、ピッチを後にするその表情には、成長した姿を存分に見てもらうことが出来なかった自らへの失望もあってか、複雑なものが浮かんでいた。
柿谷は試合が行われた8日付の地元紙・徳島新聞に「ありがとう、徳島。」という全面広告を掲載した。
「今日、J1の舞台で、もう一度徳島のみなさんと出会い、闘えることを楽しみにしています。
徳島のみなさんが応援してくれていたから、僕はサッカーを続けていられたし、サッカーを楽しいと思えました。
チームを離れても、みなさんから頂いたエールはいつも僕の中に残り続けています。
みなさんへの感謝はプレーで返します。
徳島のみなさん、今年一緒に日本のサッカーを熱くしましょう。
そして、これからもよろしくお願いします」
添えられたメッセージには、徳島の人々へのありったけの感謝が綴られていた。
09年6月、徳島への期限付き移籍が決まった。当時、南津守にあったC大阪の練習場まで柿谷を迎えに来たのが、現在も徳島の強化部長を務める中田仁司氏だった。
「『徳島に来て何をするのか』という話をした。『一回、地獄を見ろ』とも言った。大阪に比べればここは地獄かもしれないけど、『大好きなサッカーに集中できるぞ』と話した。小、中、高とセレッソで育った曜一朗にとっては、移籍すること自体が大きな問題だったと思うけれど、吹っ切れた顔をしていたので後は『楽しめ』と言いました」。徳島までの車中を中田氏はそう振り返った。
柿谷を幼い頃から知る中田氏。柿谷にとっては「お父さん的な存在でいつも気にかけてくれて、もう一度サッカーをやる楽しさを教えてくれた人」だという。
再生の原動力となったのは、“サッカーを楽しむ”というシンプルなものだった。「今、注目されてるから良いところばかり聞かれたりするけれど、自分にとって嫌なこともあったりしたし、そういうのも引っくるめて、もう一度楽しんでサッカーが出来ているので、徳島で頑張れて良かった」。徳島時代を思い返し、柿谷はそんなふうに語った。
「徳島に来て、曜一朗は意識が変わった。グラウンドには一番乗りで来て準備をするようになったし、毎日のように居残りで練習していた。遊びが仕事、仕事が遊びみたいな感じだった」(中田氏)。徳島で過ごした2年半を経て、柿谷はキャリアの階段を一気に駆け上がった。
徳島とのつながりは今も続いている。昨年12月1日のJ1昇格プレーオフ準決勝・千葉戦(鳴門大塚)には、スタジアムまで応援に駆け付けた。今年1月に行われた徳島MF濱田武の結婚式では、C大阪DF丸橋祐介とともに受付係を務め出席者を驚かせた。
特別な地での一戦に、懸ける思いは強かったはずだ。「自分の中で思いはあるけど人に言うことではない」。試合後多くは語らなかった柿谷だが、ゴール裏の徳島サポーターの元へ挨拶に向かった際には温かな拍手と歓声を浴びていた。感謝の気持ちは、確かに伝わったはずだ。(デイリースポーツ・山本直弘)