“やまびこ打線”池田復活が与えた希望

 かつて強打の“やまびこ打線”で高校野球ファンを魅了した池田(徳島)が、選抜高校野球大会に27年ぶりに出場した。4万4000人の大観衆の前で戦った初戦の海南戦は、劇的な逆転サヨナラ勝ち。「たたえよ池高、輝く池高…」という懐かしい校歌の大合唱が聖地に響き渡った。豊川との2回戦は1‐4で力負けしたものの、史上屈指の人気校が踏み出した復活の第一歩に、地元・徳島県三好市も沸き上がった。

 「池高の復活で町が活気づく。お年寄りが元気になるんです」。そう言って喜ぶのが、三好市にある「秋田病院」の理事長で、医師の秋田清実さん(62)だ。

 センバツ開幕直前、池田の練習試合に観戦に訪れた秋田さんから、地元が抱える深刻な問題を聞かされていた。

 「三好市の自殺率は全国平均の1・5倍。徳島県内の自治体ではワースト1位です。自殺者の多くが高齢者なんです。なんとかしなければなりません」

 徳島県の西端、四国山地と阿讃山地に挟まれるように広がる三好市。面積の大半が山間部で、少子高齢化が著しい。1970年代に約5万5000人だった人口は、現在は約2万9900人とほぼ半減。典型的な「過疎の町」だ。

 秋田さんによると、全国的に山間部は高齢者の自殺率が高いという。そこには簡単には断ち切れない悪循環がある。

 「自殺の理由で一番多いのが『病気』です。病気によって家に引きこもりがちになり、精神的に抑鬱(うつ)状態になりやすいんです。特に山間部は急な坂道があったりして、病気のお年寄りは外を歩きづらい。独り暮らしのお年寄りならなおさらです。ただでさえ田舎は隣の家まで距離があるため、外に出ないと、どんどん人付き合いがなくなります。家で一人きりになり、そのうち『生きていても…』と思い悩むようになるんです」

 スポーツにも関心が高い秋田さんは、池田野球部との関係も古く、亡き蔦文也元監督の時代から熱心に応援してきた。現在は08年に始まった中学生の野球大会「蔦文也杯」の実行委員長も務めており、医業のかたわら、地元のスポーツ振興に奔走する毎日だ。

 秋田さんが池田野球部の存在の大きさを知ったのが、74年春に“さわやかイレブン”で準優勝したとき。当時は東京の病院に勤務していたという。

 「池田に帰省する際、新宿駅で切符を買うのに『徳島の阿波池田まで』と言っても、時間がかかってなかなか出てこない。それが、さわやかイレブンのあとは、『阿波池田』と言いばスッと切符が出てくるようになりました。池高野球部が、田舎の小さな町を有名にしてくれたんです」。

 さわやかイレブンから始まる池田の黄金時代、町は元気だった。「攻めダルマ」が繰り広げる攻撃野球に熱狂し、甲子園の成績に一喜一憂した。池高の話題で盛り上がり、それが人と人をつないだ。しかし、1992年夏の甲子園出場を最後に長い低迷期に入ると、町もだんだん活気を失った。

 この春の甲子園出場が、大きな転機になると秋田さんは期待している。「引きこもりがちなお年寄りには、隣近所とのつながりを取り戻すことが大事だと思います。そのためには『共通の話題』が必要。この町には、池高がある。全盛期のような強さを取り戻してほしいですね」

 自殺という重い課題を解決する力が池田野球部にはあると、秋田さんは信じている。

(デイリースポーツ・浜村博文)

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