やしきたかじんさんの隠された出自とは

  なるほど、ただの評伝ではなかった。小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞し、9月11日に小学館から出版される「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」のことだ。

 著者は大阪在住のフリージャーナリスト、角岡伸彦氏。自身が被差別部落出身であることを公表し、単行本ではデビュー作「被差別部落の青春」(1999年、講談社)から、2011年に講談社ノンフィクション賞を受賞した「カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀」まで、足元からの目線で一貫して『差別』と向き合ってきた。その角岡氏が初めて芸能人を描いた。なぜ『やしきたかじん』だったのか。それはタブー視されてきたカリスマの“出自”に踏み込んだものだった。

 角岡氏は89年から93年まで神戸新聞社に在籍。姫路支社の記者から神戸本社の整理部に異動して見出しやレイアウトを担当しつつ、音楽に魅せられてアパルトヘイト廃止後の南アフリカを旅し、黒人居住区を歩いて見た人模様を夕刊で連載したり…。1年遅れで入社した私は、そんな“自由人”の姿を隣の部署からながめていた。

 個人的なお薦めは2作目の「ホルモン奉行」(03年、解放出版社~現在は新潮文庫)。日本、韓国から世界各国のホルモン料理を自分の足と舌とポップな筆致で追究したグルメ本として楽しみながら、臓物という食品が生産される地域や背景が自然と気になってくる。声高に何かを訴えなくとも、その行間から“分かる人には分かる”ことがジワリと伝わるし、その時はピンとこなくても、ヨダレをたらしながらハフハフと読んだ後になって、「あ、アレって、そういうことやったんや…」と気づかせる。そんな本も書いた人だ。

 閑話休題。8月末に都内で行われた贈呈式に伺った。角岡氏はツボを押さえた漫談調の関西弁トークで東京の業界人を沸かせ、落語でいう“マクラ”の部分だけで「受賞者あいさつ」の予定時間を越えてしまった。選考委員の作家・椎名誠氏は「テレビでしゃべるとか、別の方向があるんじゃないですか?」と、なぜかタレント性を評価(?)。それはさておき、壇上のスピーチは想定外の“延長戦”に入り、そこで本書の核心が語られた。

 角岡氏が「やしきたかじんさんの父は在日韓国人1世で…」と、これまで公には語られてこなかった文言を発した瞬間、会場の空気がキュッと引き締まった。さらに同氏は言葉を続けた。「(世の中で)あまり知られていないこと、たかじんさんが隠していたことを書くということは、すごいプレッシャーでした。僕自身は部落出身ですが、人のルーツを書く時はナーバスにならざるを得ない」。99年に死去した実父の周辺取材は難航したという。今年1月3日のたかじんさん死去以降に取材を始め、応募締め切りが4月というタイトな日程。さまざまな制約もあり、踏み込めなかった部分もあって大賞は逃した。

 選考委員のノンフィクション作家・高山文彦氏は「本当に残念でした!」とウイットに富んだ表現で労をねぎらいつつ、「在日韓国人2世(※将来を案じた父の配慮から日本人である母の籍に入ったため日本国籍。『家鋪』は母方の姓)のやしきたかじんという人物と彼を強大な力で抑えていた実父の、いわば『血と骨』の物語、それが描けていれば本賞の枠を飛び越えて、とてつもない傑作になっていただろう。取材を重ねて世の中に出していかれることを期待したい」と、ビートたけし主演、崔洋一監督で映画化された、梁石日(ヤン・ソギル)氏の自伝的小説「血と骨」にイメージを重ねた。角岡氏は「アニキ」と呼ぶ高山氏の言葉通り、応募後も数か月の取材を重ね加筆した。

 そんなやりとりを耳にしているうちに、79年頃の記憶がよみがえった。三十路になるかならないかのたかじんさんがMBSのヤンタン(関西在住の10代にとって“義務教育”のようなラジオ番組「ヤングタウン」の愛称。たかじんさんは83年までパーソナリティーを務めた)で、実父との確執を語っていたことを思い出したのだ。学生時代、新聞記者志望を父に告げた際、突き放すような敬語を交えて頭から全否定された場面を、たかじんさんは父の口調をまねて再現していた。青年期のルサンチマン(この場合は父という絶対者への憎悪であり、同時にそれは音楽を選んだ表現者にとって不可欠な要素、動機付けになったと思う)にあふれていたが、出自については全く触れられることはなかった。

 式後のパーティーで角岡氏に声を掛けた。神戸新聞時代の昔話もそこそこに、たかじんさんの出自について改めてうかがうと…。「周囲はそのことを知っていたが、最後まで公にされなかった。自身の番組で“在日”を取り上げた際、在日韓国人のパネラー(例えば前述の崔監督)を迎えたことがあり、その時、本人も名乗るチャンスはあったのに、できなかった」。だからこそ、“それ”を初めて書くプレッシャーと同氏は格闘した。

 では、なぜ、そこまで掘り下げたのか。それは「歌手としてのやしきたかじんを再評価したい」という思いからだったという。実はそれこそが本書の大きなテーマだ。出自にまで触れたのは、彼の「歌」に結びつく原点の1つとして描かねばならなかったからだろう。何よりも、本書のタイトル「ゆめいらんかね」は「家鋪隆仁」名義で自身が作曲し、キングレコードの「ベルウッド」レーベルから76年10月21日に発売されたデビュー・シングルの曲名である。同日発売のファースト・アルバム「TAKAJIN」の5曲目にも収録されており、当時、たかじんさんは27歳になったばかりだった。

 「ベルウッド」といえば、高田渡、はっぴいえんど~細野晴臣&大瀧詠一のソロ、あがた森魚、友川かずき(現カズキ)、遠藤賢司、三上寛…といった唯一無二の顔ぶれが群雄割拠した伝説のレーベル。後に「やっぱ好きやねん」「東京」といったヒット曲を飛ばし、政界にも影響を及ぼしたカリスマ司会者と彼らの音楽性は今でこそ交わる要素を全く感じさせないが、モハメド・アリとアントニオ猪木が日本武道館で戦ったあの年、「1976年のやしきたかじん」はその延長線上にいたシンガー・ソングライターだったのだ。

 角岡氏は言う。「9・11という日に本を出す。(01年の同時多発)テロとは全く関係ないですが、僕にとってはハラハラドキドキ。本人が隠してきたことを僕が書いてしまうことに怖い部分もあります。でも、それ(出自)をバネにして彼は歌手として頑張ったんですから」。果たして、たかじんさんの出自と歌のつながりとは…。こちらも覚悟をもって、本書を手に取りたい。

(デイリースポーツ・北村泰介)

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