大島美幸が“男”になった訳
お笑いトリオ・森三中の大島美幸が丸刈りで“男”を演じた初主演映画「福福荘の福ちゃん」が、11月8日から全国公開される。
大島をキャスティングし、脚本を当て書きした藤田容介監督とは、私事ながら実家(兵庫)が近所の幼なじみという縁があり、彼が8ミリの自主映画を撮り始めた1980年代から可能な限り作品を拝見してきた。そんな因果も含めて劇場長編2作目となる同作の試写を見た。そこには「森三中の~」という冠を忘れさせる、まっさらな俳優・大島がいた。なぜ、彼女は“男”になったのか。藤田監督に真意を伺った。
「世間では“ブサイク”と言われていても、この映画の中では“いい顔”。その両面を出せる稀有(けう)な存在は同年代の役者やコメディアンの中で大島さんしか思い浮かばなかった。あと、大島さんが演じることでリアルな話ではなく、一種のおとぎ話、寓話(ぐうわ)みたいな感じが出せると思った。ありきたりじゃなく、新鮮で、今まで見たことのない、非凡な人物像を創造したかった」
2008年公開の劇場デビュー作で荒川良々主演の「全然大丈夫」が海外で評価された経緯もあり、今作は日本、英国、ドイツ、イタリア、台湾の共同製作に。既に世界各国の映画祭で上映されている。「森三中」「24時間マラソン」「妊活」といった情報のない海外では未知の俳優として受け入れられた。
藤田監督は「イタリア、ドイツ、英国、オランダ…と回ったが、上映前に主演が女だと説明しなかったドイツでは、みんな彼女が男だと思っていた」と明かす。大島は今年8月にカナダ・モントリオールのファンタジア国際映画祭で最優秀女優賞を受賞。海外の映画好きの間で「Oshima」といえば「Nagisa」だが、新たに「Miyuki」も加わったわけだ。
“大島男役”の布石は打たれていた。藤田監督には「全然~」の流れで撮ったフジテレビ深夜枠のドラマ「さば」(08年放映)で、きたろう(シティボーイズ)を老婦人役にした“前科”がある。キャストの性別を反転させるという手法は、新作にも反映された。
「大島さんは男になりきるため、ベッドに寝ないで(板の)床で寝ていたとか。魂が入って中身から福ちゃんになっていた。それなのに『女が男を演じるなんて茶番』と映画がボロクソに言われたら…。俺がその洗礼を受けるのは自業自得だけど、あれだけ一生懸命になっていた大島さんに申し訳ない。実際、見もしないで“キワモノ”と思う人もいて、そこが悔しい。だから(女優賞は)自分より大島さんが評価されたということで何よりうれしい。すごく危険度の高いギャンブルに彼女を巻き込んでしまったわけで、責任をすごく感じていたから」
「森三中→おっさん」という設定からバラエティー番組のコントの延長と誤解されがちだが、この男役は単なるウケ狙いでなく、必然性がある。「小手先のギャグでなく、人間のおかしさにこだわった」という笑いや人情の機微が画(え)の力と行間で描かれる。当節はやりの映画やテレビドラマに慣れた目で見ると、そこには“時差”がある。沈黙や間(ま)で勝負する揺るぎない信念がある。
例えばアパート「福福荘」の一室で、口論の末に和解して将棋盤を挟み、皿に盛ったタコ焼きを食べながら駒を動かす住人の男2人からカメラが引くと、大島がいい案配の距離感で彼らに背を向けたまま黙々とタコ焼きを焼いている。そこに一言もセリフはない。食べ物を媒介として、ゆったりと流れる時間に多幸感があふれる。
「映画的、という所にはこだわった。今の、テレビ局が作る映画に対する異議申し立てみたいな気持ちはある」。劇団「大人計画」とのコラボから生まれた短編映画「イヌ的」(02年)以来、藤田作品の“顔”となった荒川が大島とうり二つの親友を、心に痛みを抱えたヒロインを好演した水川あさみはメジャー作品とはまた違った魅力を発揮している。
上條恒彦と六文銭の「出発(たびだち)の歌」(71年)が挿入曲として心に響く。「小学校低学年の時、小柳ルミ子、天地真理とか、歌謡曲に目覚めて、シングル盤を小遣い貯めて買っていた。その中でアイドルではなく、純粋に曲として『ええなぁ』と、体の中に染みついたのが上條さんの歌。今回の脚本を書いている段階で頭に浮かんで、福ちゃんの高揚した気持ちを表すシーンで使った」。
女性からの評判がいいという。大島が体現した“女の中にいる男”に女性は惹(ひ)かれるのかもしれない。吉永小百合、宮沢りえらに加え、大島も本年度の主演女優賞候補に浮上か…(式典の頃にはWオメデタで!?)と、個人的には思っている。
(デイリースポーツ・北村泰介)