佐久間正英さんの遺産 テレサ・テンも
音楽プロデューサーでマルチ奏者だった佐久間正英さんが、スキルス胃がんのため61歳で亡くなったのは2014年1月16日だったから、もう1年以上が過ぎてしまった。
私が佐久間さんを知ったのは1970年末、いまや伝説のニューウエーブバンド「プラスチックス」のメンバーとしてだ。当時はYMOブームの中からシーナ&ザ・ロケッツやジューシィ・フルーツといったユニークなグループが次々に脚光を浴びていて、プラスチックスを知ったのもその流れだった。
佐久間さんは78年からプラスチックスに参加しており、やはり伝説的なプログレッシブバンド「四人囃子」のメンバーも兼ねていた。私は音もさることながら、佐久間さんやシナロケの鮎川誠の知的で端正なたたずまいにも憧れていた。
その後、私は洋楽を中心に聴くようになり、79年に四人囃子が活動を休止、81年にはプラスチックスが解散して、佐久間さんの音楽からしばらく離れることになる。再び佐久間さんを意識したのは、80年代の半ばも過ぎてからだった。
BOOWY、JUDY AND MARY、GLAYといったバンドが、音楽的にぐんと伸びる時期があった。そういう時に、このバンドいいな、と思ってCDのクレジットを見ると、佐久間さんの名前が必ずと言っていいほどプロデューサーとして記載されていたからだ。
佐久間さんの公式サイトを見ると、プロデュースワークは膨大な量に上っている。テレサ・テンやTOKIOといった名まである。知らず知らずのうちに、佐久間さんによる音楽に触れた老若男女は多いだろう。
2004年には、FUJI ROCK FESTIVALで初めて佐久間さんのステージを見た。元ジャックスの早川義夫とのデュオで、他との類似を探すのが難しい音楽をやっていた。佐久間さんは52歳になっていたが、オルタナティブな音楽と端正なたたずまいを保っており、圧倒された。
長い前置きになってしまった。
佐久間さんが晩年、11年にボーカリストのゆあさみちると組んだユニット「blue et bleu(ブルー・エ・ブリュ)」のライブを今年1月22日、東京・タワーレコード渋谷店で見た。
佐久間さんは既に亡いので、ゆあさが1人でインストアライブに臨んだ。blue et bleuの最初で最後の作品となる、全5曲収録のミニアルバム「blue et bleu」がその前日にリリースされたのを記念したイベントだ。
結成のきっかけは05年、佐久間さんが特別講師を務めていた専門学校で開かれた「高校生ボーカリストコンテスト」で、ゆあさがグランプリを獲得したこと。その声に魅せられた佐久間さんが「みちるちゃんは歌声がいいね。僕のやりたいことをきっとやってくれるよね」と、将来のユニット結成を示唆して、翌06年から本格的なやり取りが始まった。
「当時はまだ子供で佐久間さんの世界観になかなか入っていけなくて、泣いたりもしました」というゆあさだが、21歳になった頃、佐久間さんが「みちるちゃんは大人になったね」とゴーサイン。活動を開始した。
ライブを数回行い、その中で作品の制作に入ることをアナウンス。12年春、佐久間さんもプロデュースや演奏で関わったユニット「dip in the pool」(85年~)の木村達司がプロデュースを依頼された。
本来は全10曲くらいのフルアルバムが想定されており、主にオンラインのやり取りで5曲のうちかなりの部分ができあがったが、13年春、佐久間さんのがんが発覚して作業は中断される。木村が最後に会った2日後、佐久間さんは世を去った。
「真剣に音源と向き合って聴き直したら、すごくいいと思った」という木村は「これを眠らせておくわけにはいかない。やろう、世に出すぞ」と決意。14年夏からゆあさ、佐久間さんの長男でミュージシャンの佐久間音哉と作業を再開した。
木村は「(佐久間さんは)別に僕がいなくてもできる人。戸惑いはあるし、相談したくてもできない。でも任されたからにはやるしかない。僕は80年代半ばからの知り合いで、うぬぼれではなく佐久間さんがやりたいことがわかっています。(佐久間さんが)狙っていた100%に落ち着くことはできないけど、遺志を尊重してできたと思っています」と振り返った。
ライブでは、ゆあさが「佐久間正英さんの思い、そして今回、関わってくださった皆さんの思いがたっぷり詰め込まれている作品です」と紹介し、「Fall」「Close my eyes」「Overture」「Silver moonlight」の4曲を披露。佐久間さんらしく繊細で美しいトラックに乗せて、ゆあさのささやくようでいてよく通る歌声が、フロアを満たしていった。
おおげさでなく、世界中で聴かれても不思議ではない普遍性のある音楽だと思う。会場には木村と音哉の姿もあり、音哉は「父もきっと天国で喜んでくれていると思います」と話していた。
blue et bleuだけでなく、佐久間さんの音楽という“遺産”は、オルタナティブなものからとっつきやすいものまで、あるいは自作からプロデュース作品まで、多岐にわたって残されている。佐久間さんはあまりにも早い死を迎えたが、その豊かな音楽は、古典として長く聴かれ続けるだろう。(デイリースポーツ・藤澤浩之)