プロレス仙台女子・里村、忍耐の4年間
プロレスの「仙台女子」が、東日本大震災から4年を迎えた『3・11』に東京・新宿FACE大会を開催した。代表を務める里村明衣子の「1年に1回でもいいので、東北から少し離れた東京から復興途上の被災地を振り向いて欲しい」という考えで実現した。
当日は黙とうからスタート。里村らが訪れた2月末の宮城県石巻市の映像がスクリーンで流されるなど、大会タイトル「あの日を忘れない~未来へ~」の思いが詰まっていた。
4年前の3月11日、里村は仙台駅近くのジムでトレーニング中に尋常ではない揺れを感じたという。選手、スタッフの安否が気になり、事務所に車を走らせたが、通常5分で到着する道が大渋滞で1時間もかかった。
幸いケガ人などはいなかったが、全員の無事が確認できたのは翌日だったという。ビルの8階にあった事務所はグチャグチャで引き払わざるを得なかった。震災から約4カ月後、新崎人生から代表の座を引き継いだ里村にとっては忍耐の4年間だった。
決してあきらめず、地道にコツコツと積み上げたことで光が差してきた。「ギリギリのところでやってきた」という団体は、今では収容約300人の仙台市宮城野区文化センターで行う定期大会は常に満員。地元民放テレビ局も取材に訪れ、夕方のニュースではプロ野球・楽天の次に結果を報じられることもあるという。
スポンサーも徐々に増えてきた。それでも、“あの日”は脳裏から離れない。所属選手で仙台出身の仙台幸子は親友を失い、里村も石巻市役所勤務だった団体の協力者が亡くなり、胸を痛めた。
「子供を誘導中に津波に遭われたということでした。ほかにも『仙女のファンだった父が亡くなったけど、続けてくれてるので私の支えです』と言ってくれたり、今でも(震災関連の)メッセージをいただく。そういう方が身近にいると、自分だけつらいとか、団体(運営)が無理だと思っても(やらなきゃという)使命感に駆られる。11日は私たちも復興してきている。その力強さを見せたい」
覚悟を決めて臨んだリング。里村は木村響子を相手にエルボー合戦で意地を張り合い、デスバレーボムで追い込んだが、実力者2人に試合時間の20分は短く、ドローになった。
4年前の3月11日、沖縄プロレスで修行中に地元が被災した仙台幸子を支えたのが、同じく当時沖縄を主戦場にしていた木村だった。甚大な被害を受けた故郷に戻ってもプロレスはできないため、幸子は沖縄滞在を続けることになった。訃報もあって傷心の幸子を毎日のように自宅に泊めて励ました。里村は試合後、「幸子の面倒を見ていただきました」とマイクで感謝の気持ちを明かした。
すると、花道を戻る途中だった木村は「それでも立ち上がったのは幸子で、立ち上がったのは里村さん!」と地声を張り上げた。感極まった里村が「本当に皆さんに感謝しています。ありがとうございます」と頭を下げると、会場は温かい拍手とコールに包まれた。里村は我慢できず、顔をくしゃくしゃにして涙を流した。“節目”での東京大会は、会場入りから優しいまなざしが伝わってきた。大会後、里村は「やって良かった」と力強く言い切った。
ガイアジャパンから“驚異の新人”としてデビューしてから今年で20年。今春に仙台女子入団を予定している選手にも経験のすべてを伝え、プロとしての自覚を指導するはずだ。里村は愛する女子プロレスを通じ、今後も東北から元気を届けていく。
(デイリースポーツ・大島一郎)