逆境の東京成徳大深谷が臨む勝負の夏
全国高校野球選手権の地方大会が20日に沖縄と南北海道で開幕し、いよいよ熱戦の火ぶたが切って落とされた。甲子園常連の強豪校、まずは1勝をというチーム…目標はさまざまだろう。激戦区の埼玉にも、降ってわいたような厳しい状況にもめげず、勝負の夏に向かおうとしているチームがある。初の甲子園を目指す東京成徳大深谷だ。
今春県大会で初めて4強入り。ベンチ入りの上限(埼玉大会は20人、甲子園大会は18人)に満たない17人の選手は、全員が3年生だ。グラウンドを失い、入部する下級生もいなくなった苦境をはね返しての快進撃だった。
1998年の創部以来の練習拠点を失ったのは昨年4月。企業から借りていたグラウンドは、ソーラーパネルの設置場所になった。新グラウンドのメドは立たず、バッティングセンターや球場を借りられるのは、それぞれ週1~2回。練習場所は日によって変わった。県8強に過去3度入った実績もあり、入部希望者はいたが、厳しい環境と事情を説明。結果的に、毎年20人前後いた新入部員は昨年からなく、3年生17人が残った。
6月上旬、ある日の練習のスタートは、バッティングセンターから。一般客の横の限られた空間で、いがぐり頭の部員たちが、貴重なマシン打撃の機会に没頭している。きびきびと後片付けを終えると、バスで移動して、神社周辺の山道をランニング。最後は学校の体育館で、基礎トレーニングだ。「ベスト8からベスト4の壁は大きいんです。まさかこの代で…苦労している分なのかな。野球の神様っているんだなと思いました」。想像以上の成長を遂げた教え子に、泉名(せんみょう)智紀監督(45)は目を細める。
「グラウンドがなくなると聞いた時、最初は『えっ!?』と思って、受け入れられなかった。居残り打撃とかの自主練習ができなくなったのが一番きつかった」と、主将の高橋滉斗内野手(3年)。場所もない、人数も少ない。しかし、試練が自立を促した。昨夏大会後、選手で決めた新チームのテーマは「愛」。人任せにせず、一人一人がチームを思う姿勢を追求した。練習量は減って実戦感覚は不足しても、わずかな時間とスペースを見つけ、考え動いて、可能な練習をする知恵が身についていった。
ティー打撃をする者の後ろでは、手で転がしたゴロ捕球の反復練習をする者、その横では通常の半分の距離でバント練習をする者…常に無駄をなくそうとする毎日を過ごすことで、試合中の「気づき」も増え、状況判断は格段に良くなった。キャッチボールなど基本中の基本の練習中心にならざるを得なくなり、逆にカバリングなどの意識も向上した。
そして、何よりの産物は一体感だ。高橋は「オフにも、全員で遊びに行くようになりました。同じ学年が17人。本気でみんなで言い合える」と話す。バスで移動する車中でも、ミーティングが自然発生するようになった。4強入りした春の大会では、逆転やサヨナラを含めた接戦での勝利がほとんど。固くなった結束が、勝負強さとなって表れた。
17人の快進撃は、周囲の心も打った。ベンチ外の部員がいないため、大会ではOBがスタンドで太鼓をたたき、声を張り上げてエール交換も行い、応援団になった。「他の高校に負けないくらい、あんなに応援してくれた。感謝しています」と高橋。夏はOBの思いも背負って戦おうと、全員で誓っている。
昨年の新チーム結成時、泉名監督は「奇跡がないと甲子園には行けない。だけど、諦めるわけにはいかない。『根拠のある奇跡』を起こそう!」と、ナインに語りかけた。知恵を絞り、汗を流した練習-。ここまで「根拠」となる日々を重ねてきた自負はある。
下級生がいないため、今秋以降の公式戦参加の見通しは立っていない。指揮官は「帰ってくる場所がないのはOBに申し訳ない。何とかしたい」と、新グラウンド探しにも奔走を続けている。
ひとまずは区切りとなる勝負の夏。高橋は「自分たちの集大成だと思う。『根拠のある奇跡』を起こして、甲子園に出たい」と、表情を引き締めた。明るく、楽しく、はつらつと、どんな状況でも諦めないのが“成徳野球”。その伝統を貫く姿を示した先に、再び歴史が紡がれる日が来ることを信じて、17人は灼熱(しゃくねつ)のグラウンドに立つ。
(デイリースポーツ・藤田昌央)