ソフトB“プレーオフの悲劇”から10年

 ソフトバンクが17日、2年連続リーグ制覇を果たした。2001~06年にダイエー、ソフトバンクを担当したデイリースポーツ・斉藤章平記者が“幻のリーグ3連覇”を振り返る。

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 圧倒的な強さでソフトバンクがリーグ2連覇を達成した。ホークスのリーグ優勝は南海、ダイエー時代を含めて19度目となる。もちろん、この数字には2度の“幻の優勝”は含まれていない。

 私は01年からホークスを担当した。福岡移転後の苦しい時期を乗り越え、99、00年と連覇を果たした直後だった。王監督率いるチームは小久保、松中、城島、井口、秋山ら充実した戦力で黄金期を迎えようとしていた。

 強い王ホークスを6シーズンにわたって担当したが、実際に優勝原稿を執筆したのは03年の一度だけだった。今でも悔やまれるのが04、05年だ。レギュラーシーズン1位通過ながら、パ・リーグだけが導入していたプレーオフ制度の前に涙をのんだ。

 プレーオフを制して日本シリーズに出場するチームがリーグ優勝と定められていた。それでも、パ・リーグはレギュラーシーズン1位決定時に「優勝」の2文字の使用と胴上げの実践を強く推奨していたが、ホークスはどちらも回避。マジックが減っていく過程でも03年のような盛り上がりはまったくなかった。現場の雰囲気は本当に単なる通過点だった。

 2位と5ゲーム差で1勝のアドバンテージが与えられるルールだったが、両年とも4・5差でレギュラーシーズンを終えた。プレーオフは2年とも2勝3敗で日本シリーズ進出を阻まれた。ホークスファンの間では03年からの3シーズンを指して“幻の3連覇”と呼んでいる。

 「たられば」を言ってはいけないが、もしプレーオフ導入初年度から1位に無条件で1勝のアドバンテージがあれば…、さらには現行クライマックスシリーズのようにレギュラーシーズン1位がリーグ優勝と認められていたら…、王ホークスはリーグ3連覇を達成していたことになる。

 そんな“プレーオフの悲劇”を間近で見てきたが、中でも印象的だったのが王監督だ。04年は133試合、05年は136試合での“勝者”が、わずか5試合の短期決戦で“敗軍の将”に転じた。

 「これ(プレーオフ制度)はシーズンが始まる前から決まっていたこと。急に出た話ではない」。制度を言い訳にすることは一切なかった。当時の中心選手だった松中、城島らは人目をはばからずに涙を流した。忘れられない光景だ。

 悲劇は繰り返された。ソフトバンク元年の05年は89勝でレギュラーシーズンを1位通過。「今年こそは」を合言葉に挑んだプレーオフだったが、再びあと1勝が遠かった。ロッテの31年ぶりリーグ制覇を許した。

 それでもホークスナインは毅然(きぜん)と振る舞った。王監督、コーチ、選手はバレンタイン監督の胴上げから目をそらすことなく、全員で見届けた。ペナント授与のセレモニー終了までの約20分間は、すぐ横で選手たちの表情を見ていた担当記者にとっても、とてもつらい時間だった。

 同年オフに城島がFAで米大リーグ・マリナーズに移籍。そして、亜大から松田が希望枠で入団した。現在の工藤ホークスの中軸である柳田も内川も今宮も“プレーオフの悲劇”と言われた04、05年はチームにいない。

 王監督ラストシーズンとなった08年こそ最下位に沈んだが、09年から秋山監督、そして今年から工藤監督と、王監督の下でプレーした指揮官によって“王イズム”は継承されている。同時に積極的な補強を繰り返し、主力の世代交代、血の入れ替えを敢行してきた。チーム作りの根底には“プレーオフの悲劇”で味わった、あの悔しさがある。

 “幻の3連覇”から10年が過ぎた。来季の工藤ホークスは“真の3連覇”を達成して、悲劇の歴史からの完全脱却を目指す。(デイリースポーツ・斉藤章平)

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