【野球】阪神・関本を支えた存在とは…
また一人、惜しまれながらユニホームを脱ぐ選手がいる。96年度ドラフト2位で阪神に入団した関本賢太郎内野手だ。猛虎一筋19年。ここ数年は“代打の神様”として無類の勝負強さを誇り、ファンに愛され続けた男が静かにバットを置く決意を固めた。
186センチ、96キロの大きな体からは想像できない独特なコンパクトスイング。08年6月17日・楽天戦の1試合4犠打や、セ・リーグ記録である05~07年の二塁手最多連続守備機会無失策804などの“渋い”功績は、この男らしい。
だが「入団したときは2000本安打とかホームラン王を夢見ていた」と振り返る。それでは、なぜ現在のスタイルに変えたのか?きっかけは同期入団の浜中治2軍打撃コーチの存在だった。
今年8月、関本は右背筋痛のため鳴尾浜でリハビリを行っていた。その横には、浜中コーチ。1軍復帰に向けて急ピッチで調整を続けているときだった。
「セキ(関本)に言われたんだよ。『お前がいたから俺はこういう打撃に変えた』って。入団したときは長距離をバンバン打つ選手だった。それを聞いて、思うところはあったね。いつかまた同じユニホームを着て、今度は指導者という立場で野球をやりたいな」
同じ高卒ルーキーとして入団した2人。1997年9月17日・中日戦でデビューを果たした浜中コーチと比べ、関本は3年後にようやく1軍の土を踏むことになる。このままではプロで通用しない。同級生の打撃を見て、長打を捨てる覚悟を決めたのだろう。「入団したときに『頑張って10年は続けよう』と話したんだよね」。志を共にし「ライバル」とお互いを認め合いながら切磋琢磨してきた。
その両者がコーチ、選手と立場を変えて汗を流す。浜中コーチは「尊敬する。頑張ってほしい」と自分の思いを託すかのように、そばに寄り添いながら練習を見守っていた。
9月30日に行われた引退会見。報道陣からの「支えになった存在は?」という問いに、関本は迷いなく浜中コーチの名を挙げた。「ハマは同期入団で良きライバルでした。彼の存在は僕にとって大きかったと思います」。鳴尾浜での“再会”は、両者にとって特別な時間だったように思う。
9月8日に1軍へ昇格してからは12打数7安打4打点、打率583。神がかり的な打撃は、決してたまたまではない。2人が出した19年越しの“答え”なのだろう。「これから始まる第二の人生は支えていただいた気持ちを胸に、“必死のパッチ”で歩んでいきたいと思います」。引退セレモニーで語った言葉が、心に染み渡った。
(デイリースポーツ・中野雄太)