【レース】減量地獄の上田、重賞初Vへ
競馬の世界に生きるジョッキーにとって避けて通ることができないことのひとつに“減量”がある。まるっきり関係のない人もいるが、ほとんどのジョッキーが各レースごとに定められた負担重量で騎乗するために、食事を調整したり、サウナや風呂場で汗取りを行ったり…レースまでの間に思い思いに懸命な努力を続けている。それに耐えられなくなり、ライセンスを返上するケースも数多く見てきた。
“地獄を見た男”-大井競馬の上田健人騎手=寺田新=がメキメキ頭角を現してきた。09年デビューで今年7年目の24歳。北海道苫小牧市の生まれで、父親が牧場に勤めていた関係から競走馬に興味を持ち、競馬の世界に飛び込んだ。
09年4月20日のデビュー戦は10着。と、ここまではごく普通の新人ジョッキーだが、そこからが苦難の連続だった。5月後半から減量に苦しみ、レースへの騎乗もままならない。体重調整の失敗で脱水症状を起こし、何度も救急車で運ばれた。2度の騎乗停止処分もあってしばらく騎乗を自粛。8月25日にようやく騎乗を再開したが、11月19日の船橋競馬でまたもや調整に失敗して騎乗停止処分を受けた。「甘かったです。根性もなかった。やればできたのに、それがなかなかできなくて…多くの人に迷惑をかけてしまいました」と、上田健は当時を振り返る。
それでも「(騎手を)辞めようとは思わなかった」と言う。12月に所属厩舎が変わり、イチから自分を見つめ直した。徐々に周囲の信頼も取り戻し、11年1月には全日本新人王争覇(高知)に参戦して総合7位。そして2カ月後の3月7日、ついに頑張りが報われる時がきた。大井競馬4Rを11番人気ラッシュバックで逃げ切り、夢にまで見た初勝利を挙げた。デビューから109戦目。約2年の歳月が流れていた。「周囲の支えがあって乗せてもらえるようになりました。この1勝で少しだけ恩返しができました」と涙した。翌12年には岩手競馬へ期間限定(3カ月)の武者修行も経験。その岩手で重賞初制覇(12年ジュニアグランプリ=セラミックガール。13年フェアリーC=ミキノウインクで2勝目)も達成。ゆっくりと着実に成長していった。
そんな姿を親身になって気に掛けていた一人に故・秋田実さんがいた。元・船橋競馬の人気ジョッキーで通算1337勝を挙げた。引退後はいったん民間の会社に勤めたが、その後、いまの東京都騎手会・吉井竜一会長に請われて事務局長に就任。同時に全日本騎手連盟の事務局長も務めた。事務全般からいろいろなイベントの仕掛け人としても幅広く奔走。若手騎手の兄貴分として良き相談相手にもなっていた。上田健が担架で運ばれるたびに心配そうに付き添っていた姿が思い出される。その秋田さんが病に冒され、53歳の若さで急逝したのは4年前の10月3日だった。
その上田健が、いよいよ地元・大井での重賞初Vのチャンスを迎えた。14日に大井競馬場で行われるハイセイコー記念。前哨戦のゴールドジュニアーを4馬身差で逃げ切り、破竹の4連勝を達成したラクテでチャレンジする。「どのぐらい強いのか、前走は思い切って行って(逃げて)みたんです。想像以上に強かったです」と興奮を隠さない。この中間も自らが調教をつけている。「順調にきているし、それが一番ですね。とにかくスピードが違います。これだけの馬にはなかなか乗せてもらえないですよ。ただ重賞に乗るだけではなく、勝ち負けできるチャンスのある馬。人も馬も自信を持って臨みます」。そう力を込めると「秋田さんにも、いい報告ができるように頑張ります」と続けた。
現在の厩舎には昨年11月に転厩してきた。看板馬には重賞3勝を含めて目下4連勝中のソルテ(11月4日・大井のマイルグランプリに出走予定)がおり、その調教も任されている。「走る馬の背中を教えてもらって感謝しています。いつかソルテにも(実戦で)乗せてもらえたらうれしいですね」と瞳を輝かせながらアピール。「出遅れてしまったけど、なかなかあんな経験はできないし、逆に貴重な経験ができたと思っています。多くの方々の支えがあって、いまがあると感謝しています。挫折を味わった人間でも強くなれるんだと言うことを伝えたいし、同じことで苦しんでいる後輩にアドバイスができたらいいですね」。そこにあるのはかつて自信をなくしかけて青白かった無表情な顔ではなく、黒く日焼けした精かんな、自信に満ちあふれた笑顔だった。(デイリースポーツ・村上英明)