【野球】工藤監督16年前の福岡最後は

 ソフトバンクが29日、日本シリーズでヤクルトを4勝1敗で下し、2年連続日本一に輝いた。1999年にソフトバンクの前身であるダイエー担当のデイリースポーツ・岩本隆が、工藤監督が選手として福岡で活躍した最後の1年を振り返った。

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 偶然なのだろうか。16年前の勝敗と同じだった。99年、ダイエーが日本一になった日本シリーズ。中日を4勝1敗で下し、10月28日に敵地・ナゴヤドームで就任5年目の王貞治監督(現会長)が宙を舞った。同時に工藤監督が、選手としてホークスのユニホームを着た最後の日となった。

 日本シリーズの下馬評は「中日有利」と見られていた。そんなシリーズ開幕戦で工藤投手は、シリーズ新記録の13三振を奪い完封勝ち。この快投に若いチームは勢いに乗り、日本一の座を射止めた。工藤投手も初戦の好投が評価され、シリーズの優秀選手にも選ばれた。

 ペナントレースでは、11勝7敗ながら最優秀防御率(2・38)と最多奪三振(196)のタイトルに加えMVPにも輝いた。チームの大黒柱としてホークス黄金期の扉をこじ開けた。

 日本一の喜びもつかの間だった。名古屋で日本一の美酒に酔いしれ福岡に戻った数日後、工藤投手は地元放送局の深夜番組に出演していた。土砂降りの日だったのを覚えている。シーズン中に獲得していたFA権の行使について尋ねると「うーん」という言葉と同時に顔色が変わった。福岡を離れる可能性をにおわせた瞬間だった。

 シーズン中、6連戦の初戦である火曜日登板が多かった。日本シリーズ初戦のようにチームに勢いをつける大事な火曜日登板である。しかし、FA交渉の席で球団首脳から「火曜日の観客動員が一番悪い」と指摘された。いろんな事情で福岡を離れ、巨人に移籍するのだが、残留か退団かで揺れる中で「この1年間の努力は何だったのかという気持ちになった」と球団首脳の言葉が退団への一つの要因になった。

 FA宣言して巨人移籍までには、いろんなことが起こった。ゴルフで手足のマメとすり傷の悪化と心労で福岡県内の病院に入院したが、事件、事故が疑われ大騒ぎとなった。時の人の入院にテレビ局は中継車を出すなどの大騒動。退院後はメジャー移籍を視野に渡米するなど移籍先が決まるまで“工藤狂騒曲”が続いた。

 FAの話題が出てからホークスファンが6万5000通の署名が送られた。移籍先を決める前に文章でファンに対して「胸を打たれたし、感謝の気持ちでいっぱいです」という文書を報道各社にFAXした。国内では中日、巨人が獲得に動いたが、当時の巨人・長嶋茂雄監督が福岡の自宅まで出向きラブコールを送り巨人移籍が決まった。

 翌年の20世紀最後の日本シリーズでは、ON対決が実現。巨人・工藤投手はかつてのチームメートと対峙(たいじ)した。昨オフ、チーム名はダイエーからソフトバンクに変わったが、福岡に監督として戻ってきた。監督就任時に署名を送った人たちに年月をかけて礼状を送ったことも話題になっていた。監督1年目の今季、絶対的な強さで日本一を勝ち取った。博多のファンは強いホークスを願う。工藤監督の恩返しは、来季以降も続く。(デイリースポーツ・岩本 隆)

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