【野球】ロッテドラ3成田と乱闘の因縁
ロッテのドラフト3位・成田翔投手(17)=秋田商=には、ロッテの乱闘を巡る、“因縁話”があった。
いまでもテレビのプロ野球の珍プレー・好プレー特集で紹介される有名な乱闘事件とくれば、91年5月19日に秋田八橋市営球場で勃発したロッテ対近鉄の大乱闘だ。ロッテ・園川一美投手の死球に激高した近鉄・トレーバー内野手が、右翼付近まで同投手を追いかけ回すと、両軍入り乱れて殴る、蹴るの大変な修羅場になった。
さらにベンチから飛び出したロッテ・金田正一監督が、両軍ナインに押さえられていたトレーバーの顔面をスパイクで蹴りつけた。これはいまでも“伝説のキック”と語り継がれている名場面。結局、この乱闘で退場させられたのはトレーバーだけで、金田監督は退場させられなかったのだが…。
当然ながら成田はまだ生まれていないが、実はこの試合で、当時大学生だった成田の父・努さん(44)が一塁側・ロッテベンチでボールボーイとして働いていた。努さんは秋田県内の大学に通う3年生で、野球では投手をしており、この時偶然にもボールボーイのアルバイトをしていたという。
しかもその時のロッテのブルペンには、永野吉成投手(現チーフスカウト)、そしてのちに成田の担当スカウトとなる井辺康二投手がいた。
さらにその球場のスタンドには、当時小学生で後に成田の恩師となる秋田商の太田直監督が観戦していたという。
成田はもちろん、この“史実”を知っており、「父には乱闘ではなくプロ初勝利を見せたい」と話す。
この乱闘事件とは関係ないが、成田の曽祖父は埼玉ロッテ浦和工場で女子寮の寮長を務めていたという。成田家とロッテとの縁は成田が生まれるずっと前からあったのだ。
乱闘はともかく、成田はロッテに入るべくして入ったというしかない?(デイリースポーツ・菊地順一)