【レース】武田元調教師「思い出」写真
大切にしている写真はありますか-。
定年を迎え、2月29日付で調教師を引退した武田博さん(70)。家の目立つ場所に、一枚の写真を飾っているという。13年の小倉記念。管理するメイショウナルトが重賞初制覇を決めたゴールの瞬間の写真だ。「一番好きでね。思い入れがあるから、大事にしているんだ」。馬上の武豊騎手がステッキを持つ右手を軽く挙げ、完全に“カメラ目線”。ゴーグル越しでも笑顔を浮かべているのが確認できる。デイリースポーツ紙上に掲載されたワンショットだ。
芝1200メートルでデビュー(2着)したメイショウナルトは芝1800メートルの2戦目で初勝利。デイリー杯2歳Sで3着と健闘したが、クラシック路線には乗れず、2勝目を挙げたあとも掲示板にすら載れないレースが続いた。
武田さんはある決断を下す。「気の悪いところもあったから、去勢をした。オレのエゴだよ。やることがなくなって、馬主さんに“取りますか”ってね…」。セン馬になって再出発したナルトは2200メートルの500万クラスを5馬身差の圧勝。同距離の1000万クラス・三田特別でも完勝を決めて連勝した。「小倉記念に行きましょう」-。その勝利後、武豊騎手が伝えた言葉に武田さんは目を丸くしたという。「冗談はやめてくれって思ったよ。重賞なんて夢にも思わなかったから」と笑う。
その2カ月後、重賞制覇が現実のものとなる。道中は好位の内ラチ沿いをロスなく運び、3コーナー過ぎから早めの進出。下がってきた馬もうまくかわして4コーナー先頭から後続を寄せ付けず、芝2000メートル=1分57秒1のコースレコード勝ち。完璧なエスコートだった。「あの時、“やれるんじゃないか”って、ひらめいたユタカはやっぱりすごい。こういうレースになるのが分かっていたんじゃないか、って思ったね。すべてが計算ずくで。ゴールして“見てくれた?”“ね、勝ったでしょ?”って、こっちを見ている。そんな写真なんだ」と師は感慨深げにする。
本当はどうなのか。ずっと気になっていた武田さんは食事の席で武豊騎手にたずねた。「オレの思いを説明したら、“その通りです”って返ってきたよ」。
勝利の瞬間、涙で目を潤ませた。ジョッキーで12年間、調教師で40年間。合計620勝以上を挙げた長い長い競馬人生のなかでも、忘れられないゴールの一場面だ。「あの写真は、一生のなかで一番の思い出」。見る人、写す人、写される人。写真には多くの思いが込められている。そして、競馬にはいろいろなドラマがある。(デイリースポーツ・井上達也)