【スポーツ】転落、決別を経て別の道からはい上がったボクシング界の師弟
運命の糸はやはり絡み合うのだろう。たもとを分かったボクシングの師弟が別々の道からはい上がり、そして同時期に注目を浴びた。堺東ミツキジムのトレーナー・野上真司氏(41)と、WBO世界フェザー級2位の大沢宏晋(31)=ロマンサジャパン=の2人だ。
野上氏はサポートし続けた妻・好川菜々(38)が10月9日、WBO女子世界フライ級王座に挑み、判定勝利。夫婦で世界王者の夢に見事、輝いた。
大沢は11月5日(日本時間同6日)、米ラスベガスでWBO世界フェザー級王座に挑んだ。王者オスカル・バルデス(25)=メキシコ=に7回TKOで沈められたものの、ラスベガスは世界中のボクサー憧れの聖地。スーパースターのドネア、パッキャオ(ともにフィリピン)の試合に挟まれたセミファイナルで戦ったことも、日本人では快挙だった。
この2人、かつてはタッグを組み、世界を目指した。11年に東洋太平洋同級王座を獲得し3度防衛。順調にキャリアを積んでいたが、12年に暗転する。
陣営がJBC(日本ボクシングコミッション)に虚偽の届け出をし、海外で非公認のタイトル戦を行ったことが発覚。野上氏はセコンドライセンス取り消し、大沢も1年間のライセンス剥奪と、重い処分が下された。
敏腕マネジャーで鳴らした野上氏の評価は一気に落ちた。誰からも相手にされず、ボクシング界で“つまはじき者”となるのも当たり前。それでも当時、恋人の好川菜々を育てる責任はあった。
「色恋でやりやがって」と周囲の批判も聞こえた。愛する人のセコンドには付けない。歯を食いしばり、勝つことで一歩ずつ信頼を取り戻していった。今年3月、セコンドライセンスが再交付。そして夫婦の悲願を果たした。
大沢はもっと悲惨だったろう。陣営の組んだ試合に、何も知らずに行っただけだった。ただ周囲はそうは見ない。スポンサーなど、応援してくれていた周囲は一斉に手を引いた。「人がさーって離れていった。ほんと、こうなるんだなあって」と、見捨てられた。
気力を失った大沢を救ったのが東日本大震災のボランティア。知人のもつ鍋店オーナーに誘われ、被災地の宮城県石巻市、南三陸町、男鹿半島を炊き出しで巡り1000人前を配った。
「一生戻らないかもしれないものが失われた。普通の生活に戻るのに何年かかるのか。俺はたった1年じゃないか。人間としていろんなことを考えた」と逆に勇気をもらった。処分明けの13年、復帰後の大沢はすさまじかった。「離れていった人を見返してやる」。7戦7勝(7KO)で夢の舞台を引き寄せた。
どん底から4年がたち、今だから2人も話ができる。野上氏は言う。
「大手のジムじゃない大沢があの舞台に立つのがドラマ。一緒にベガスに上がれないけど、目に焼き付けた。負けたけどあの舞台に立っただけで勝者。僕の教え子1号は大沢。今はあの子も素直に『ありがとう』って言ってくれる。互いの集大成がこの時期に来てうれしい」。
大沢も「あの1年があったから僕は人間として成長できた」と、もう引きずってはいない。
逆境に沈むか、なにくそとはい上がるか-。人間は失敗する。しかし失敗を糧にした人間は強い。「高く飛ぶためには、低くかがむ必要があるんです」。この2人を見て、2012年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した京大・山中伸弥教授の言葉を思い出した。(デイリースポーツ・荒木 司)