【野球】“逆輸入”での成功例も プロ野球助っ人選手のその後を振り返る
これまで多くの外国人選手が日本球界でプレーしてきた。中にはNPBからメジャーに舞台を移し成功した“逆輸入”の例もある。そういった選手を振り返ってみる。
豪快な打撃が魅力のセシル・フィルダーは1989年の1年間だけ阪神でプレー。この年の成績は打率・302、38本塁打、81打点で長打率・627。9月14日の巨人戦で三振した際に地面にたたきつけたバットで右手小指を骨折。本塁打王争いをしていたがシーズンを棒に振り、そのまま帰国となった。
翌90年からメジャーに復帰。タイガースでプレーし本塁打王と打点王を獲得。10月4日の最終戦で、当時で米大リーグ史上18人目となる50本塁打をマーク。翌91年もア・リーグ2冠王に。92年も打点王。98年の引退までメジャー通算は打率・255、319本塁打、1008打点だ。ちなみに、息子のプリンス・フィルダーもメジャーリーガーだった。通算319本塁打で本塁打王や打点王などを獲得した。
同じ阪神組では、ライアン・ボーグルソンも成功。07年からの2シーズンを阪神、09年はオリックスでプレーした。NPB通算3年で62試合に登板し11勝14敗4ホールド、防御率4・17だった。米球界復帰してから2年後の11年にジャイアンツで頭角を現しオールスターに出場。翌12年は14勝を挙げるなどしてワールドシリーズ制覇に貢献した。
アルフォンソ・ソリアーノは、まさに“逆輸入”で成功。広島でプロのキャリアをスタートさせた。広島が、外国人選手の育成を目的にドミニカ共和国で展開する「カープアカデミー」で経験を積み97年にNPBでデビュー。翌98年に米球界に移り、99年にニューヨーク・ヤンキースでメジャーに。オールスターにも7度出場するなど、メジャー通算16年で打率・270、1159打点、289盗塁の数字を残した。
また、メジャーで2ケタ勝利を挙げた実績もあったコルビー・ルイスは、広島時代に2度の最多奪三振のタイトルを獲得。再びMLBに戻り、テキサス・レンジャース時代の15年に17勝を挙げた。“再生組”では13年に楽天の日本一に貢献したケーシー・マギーか。メジャーに復帰した13年にマイアミ・マーリンズの三塁手として活躍してカムバック賞を受賞。来季から再び日本に戻り巨人でプレーすることが決まっている。(デイリースポーツ・折原良輔)