【リング】高田VSヒクソンから20年 総合格闘技の栄枯盛衰
歴史にIF(もし)は禁物と言うが、この出来事がなければ総合格闘技界も大きく変わっていただろう。1997年10月11日、総合格闘技イベントPRIDEの第1回大会で行われた高田延彦-ヒクソン・グレイシー戦から今年で20年を迎えた。
17日に開かれたPRIDEの流れを受け継ぐ総合格闘技イベントRIZINの会見では、今年の年間スケジュールなどとともに、高田-ヒクソン戦の20周年記念イベントを行うことが発表された。ヒクソンと戦い、今はRIZINの統括本部長を務める高田氏の心中には言葉にできないような思いが去来したのだろうか。会見でコメントを求められると「んー、そうですね…。あっという間と言えばあっという間ですね…。以上でございます」と、遠くを見つめながら話すだけだった。
元はといえば、「PRIDE」はこの1戦のために始まったイベント。高田氏は敗れたものの、その後の「PRIDE」は視聴率20%を超えるほどの人気を集め、一時は世界最高峰の舞台になったことを考えると、この1戦が日本の総合格闘技界に与えた影響は極めて大きいといえる。
会見では、この1戦の実現に尽力したRIZINの榊原信行実行委員長も感慨深げだった。「こんなに総合格闘技が愛されて競技者が増えるとは想像していなかった。高田-ヒクソン戦はとっても大きな貢献をしたと思う。そこから10年のPRIDEの歴史は世界中のプロモーションに大きな影響を与えたと自負しています」と当時を振り返り、「あの試合がなければ、PRIDEが生まれていなかったら、当時はアメリカで総合格闘技は禁止になっていた訳ですから、行き場がなかった。衰退していくしかなかったタイミングで10年間、日本で育った」と意義を強調した。
榊原氏が言うように、現在につながる総合格闘技のはしりといる米国の総合格闘技団体UFCも、今でこそ世界最高峰に君臨するものの、高田-ヒクソン戦が行われた頃は、米国の多くの州で総合格闘技を禁止する法律が定められたこともあり、厳しい経営状態に陥っていた。その後に大きく成長したPRIDEが世界最高峰にふさわしい舞台を作り上げていなければ、総合格闘技が現在のような隆盛を迎えることはなかったかもしれない。
だが、そのPRIDEも10年後にはテレビ中継が離れたことなどで勢いを失い、逆に勢いを取り戻したUFCが買収。そこから現在までの10年は、総合格闘技が世界的に発展していく中で、日本は停滞するという皮肉な時代を迎える。
栄枯盛衰の20年といえるが、2015年末にRIZINがスタートしたことで、また歴史に転換期が訪れるかもしれない。まだPRIDEの勢いには及ばないが、1年を経過して明るい材料も出てきた。RIZINで日本人相手に3連勝し、父のように日本人の大きな壁となりつつあるヒクソンの息子クロン・グレイシー。昨年末のRIZINで総合格闘技デビューを果たしたキックボクシング界の“神童”那須川天心。彼らは戦う度に注目度を高めている。
もう一つは、PRIDE時代にはなかった女子だ。榊原氏によると女子の人気の高まりは世界的な潮流で、RIZINのテレビ中継も視聴率は男子より高いという。榊原氏は「男子を席巻するかもしれない。女子の方がキャラ立ちしていて、興味がある選手が多い」と可能性を感じており、4月に次回大会では5試合程度を女子にする考えだ。
隆盛の10年と停滞の10年。次はどのような10年になるだろうか。(デイリースポーツ・洪 経人)