【野球】侍の命運背負った4番たち
第4回WBCが開幕し、小久保監督率いる日本代表は7日、キューバとの初戦に臨む。2月28日のソフトバンクとの練習試合を皮切りに計5試合で「侍ジャパン」の4番を務めたのは筒香(DeNA)だった。キューバ戦も「4番・筒香」が濃厚。過去3大会での日本代表の4番をたどる。(敬称略、球団は当時)
【第1回=06年】松中(ソフトバンク)が全8試合で不動の4番を務めた。04年のパ・リーグ三冠王は計30打数13安打2打点で打率・433。中でも印象的だったシーンは同大会3度目の対決となった韓国との準決勝。両チームが無得点で迎えた七回の攻撃だった。
この回先頭の松中は右翼線へ二塁打。ヘッドスライディングで二塁に到達すると、思わず左手でベースをたたき喜んだ。松中の一打をきっかけに、日本は一挙5得点。この試合で韓国を圧倒した勢いに乗り、王ジャパンは初代世界一に輝く。
【第2回=09年】稲葉(日本ハム)が3試合、村田(横浜)が4試合、城島(マリナーズ)が2試合だった。4番で最も数字を残したのは計14打数5安打5打点の村田。1次ラウンド・韓国戦では“日本キラー”と呼ばれた左腕・金広鉉から3ランを放ち、前年夏の北京五輪の雪辱を果たした。
ただ、韓国との決勝戦で4番に座ったのは城島だった。村田は第2ラウンドでの韓国戦、四回の走塁で右太もも裏を負傷。チームからの離脱を余儀なくされた。
【第3回=13年】ブラジルとの初戦は糸井(オリックス)だったが、2戦目の中国戦以降は主将を務めた阿部(巨人)が入った。計6試合で4番を務め、22打数6安打6打点。オランダとの2次ラウンド1組1位決定戦では1イニング2発を含む2安打4打点と大暴れした。
日本にとって悔やまれたのは準決勝のプエルトリコ戦。3点を追う八回1死から3連打で1点を返してなお一、二塁。二走・井端(中日)と一走・内川(ソフトバンク)による重盗が失敗した有名な場面で打席に立っていたのは阿部だった。結局、2死二塁から二ゴロに倒れた。敗戦後に阿部は「次は僕はもうないと思っている」と代表引退を宣言した。(デイリースポーツ・折原良輔)