【競馬】ミホノブルボンの死により改めて思うこと
もう1カ月も前になるが、かなり衝撃的なニュースだった。2月22日、けい養先の北海道沙流郡日高町のスマイルファームでミホノブルボンが死んだ。スマイルファームの中村広樹代表は「ここ数年、ひと冬ごとに体が寂しくなっておりました。ファンからもたくさんの贈り物を頂き、本当に愛された馬でした。ご冥福をお祈りいたします」とコメントした。
自分が競馬にのめり込むきっかけとなった馬がミホノブルボンであり、あれから長い年月が経過した今でも一番好きな馬はと問われたらミホノブルボンと即答する。
どれも心に残るレースだった。ヤマニンミラクルの猛追を振り切った朝日杯3歳S(現・朝日杯FS)、単勝1・4倍と圧倒的な人気に推されながらも悠然と逃げ切った皐月賞、雨で湿った稍重馬場をものともせず、後続に4馬身差をつけて圧勝したダービー。本当に強かった。しかし、記者が一番、印象に残るレースは2着に敗れた菊花賞。ラストランとなったレースだ。
つきまとった距離の壁。父マグニテュードの産駒は短距離馬が多く、実際にブルボンも中京芝1000メートル戦でデビューしている。決して長距離馬ではない。しかし、戸山為夫調教師が徹底的に鍛え上げてダービー馬となり、夏の休養を挟んで臨んだ前哨戦の京都新聞杯も逃げ切りV。ファンだった記者は菊花賞も負けるはずはないと思っていた。しかし、今回は3000メートルのマラソンレース。心のどこかに「さすがにこの距離は…」という考えもあった。
レースはハナを奪ったキョウエイボーガンの2番手から競馬を進め、4角で先頭に立ったものの、最後はライスシャワーの末脚に屈した。三冠の夢はついえた。しかし、ブルボンの強さは本物だった。印象に残っているのはゴール前。ライスシャワーに差され、追い上げてきたマチカネタンホンザにもかわされそうになった。それでも最後の力を振り絞って差し返した。周囲から厳しいと言われた3000メートルの舞台で、最も得意とする逃げという作戦を封じられて満身創痍(そうい)の状態。それでもブルボンは諦めなかった。ライスシャワーには負けたが、3000メートルの距離には負けなかった。
この業界に入って十数年。記者として多くの名馬の悲報に触れてきたが、今回のような感情になったのは初めてだ。仕事として競馬と付き合うようになり、競馬に対する自分の感情に変化が生まれた。あくまでも仕事として捉えるようになり、喜怒哀楽を前面に出すようなことはなくなった。しかし、ブルボンの死により、競馬をこよなく愛していたあの頃の感情がよみがえった。
この出来事が記者の心を揺さぶったのは間違いない。だが、これにより今後、競馬との付き合い方が変わるとは思えない。仕事として競馬に携わってきた時間が長過ぎた。今さらあの当時の情熱を持って接することはできないだろう。しかし、今は違った形で競馬を愛しているし、ファン時代には分からなかった競馬の良さ、楽しさを知っている。しかも、それを多くのファンに伝えられる立場にもいる。そのことを再認識した。ブルボンの死が記者自身を見つめ直すいいきっかけになったように思う。(デイリースポーツ・小林正明)