【スポーツ】東京五輪を目指す元4団体王者高山勝成はアマのリングに立てるのか
ボクシングで日本人初の主要4団体制覇を成し遂げた高山勝成(33)が、4月3日にWBO世界ミニマム級王者のまま現役を引退、20年東京五輪を目指してアマチュア転向を表明した。
同26日には今春入学した名古屋産業大(愛知県尾張旭市)で練習を公開し、「東京五輪への始動」とあらためて決意を示した。「自国で世界最高の舞台(五輪)に立って、国を代表して戦いたい気持ちが強い」と夢を描く高山だが、実現への道のりは険しい。
海外では国際ボクシング連盟(AIBA)が16年6月の臨時総会でプロの五輪出場を解禁。同年のリオデジャネイロ五輪にも元世界王者2人を含む4人のプロ選手が参戦した。
5月20日WBA世界ミドル級王座決定戦で12年ロンドン五輪金メダリストの村田諒太(31)と拳を交えるアッサン・エンダム(33)=フランス=がカメルーン代表として、14年5月にIBF世界フライ級タイトルマッチで井岡一翔(28)=井岡=にプロ唯一の黒星を付けたアムナト・ルエンロン=タイ=も出場したが、エンダムは1回戦、アムナトは2回戦で敗退した。
一方、国内では事情が異なる。アマ統括団体である日本ボクシング連盟(JABF)はプロ経験者のアマ転向を認めていない。高山はアマ転向表明に先立ち、3月29日に大阪市内で同連盟の山根明会長と話し合い、筋は通したものの、山根会長は「プロは生活のために、アマは学校教育の一環としてやってきた歴史がある。その歴史がひっくり返ることはない。(高山の五輪出場は)1000%あり得ない」と明言した。
同連盟は選手育成のため海外遠征や合宿などの強化費を負担してきたこともあり、山根会長は「関係者はボランティアでアマの選手に愛情を持って接してきた。(高山が)プロでやり切ったから次はアマでというのは受け入れられない」と心情を吐露した。
1926年に全日本アマチュア拳闘連盟として発足し、90年以上の歴史がある同連盟は13年に組織の名称から「アマチュア」の文字を外したが、プロとは依然として一線を画している。
例えば4月14日、同連盟は主催するアンダージュニア(UJ)大会の出場資格について「今後、日本プロボクシング協会が主催するU-15ボクシング大会に出場した選手は目的の如何に関わらず、当連盟主催のUJボクシング大会及びそれに係わる予選等に出場することはできないこととする」と通達した。これまで小、中学生は両大会に出場することが可能だったが、一方の大会を選択しなければならなくなった。
前例なき挑戦であることは高山も十分理解している。「(五輪出場へ)名乗りを上げて、すぐにやれるとは思っていない。正直、ハードルはとても高い」と険しい表情で話した。それでも「一人のアスリートとして五輪の舞台で戦いたい。今は出場できることを願うだけ。何年後かにゴーサインが出た時、体重、コンディションを完璧にしておく準備をする」と素直な心境を語った。
相応の覚悟も秘めている。プロと異なり3分間×3ラウンドの短期決戦で、前傾姿勢も減点となるアマの戦い方に適応するため「頭の位置は修正している段階」という。階級はライトフライ級(49キロ)かフライ級(52キロ)を見据え、慢性的に負傷している左目上の手術も5月初旬に受ける予定。練習場近くにワンルームの部屋を借りており、今後は生活のため、プロ駆け出しのころ以来となるアルバイトも辞さない構えだ。
過去には不可能とみられた4団体制覇を目指し、当時日本で非公認団体だったIBF、WBO王座挑戦のため一度はJBCを脱退。海外を転戦しながら13年にIBF王座を獲得し、日本のIBF、WBO公認につなげたパイオニアでもある。試合出場の見通しすら立たない現状、東京五輪への“長期戦”は必至だが、再び不可能を可能にすることはできるのだろうか。(デイリースポーツ・山本直弘)