【芸能】「南極物語」で健さんが特注した下着の値段とは?~伝説の映画人が語る秘話
キネマ旬報社や角川映画などの社長も歴任した日本映画界の名物プロデューサー・黒井和男氏(78)がトークイベントを都内で開催し、今年4月の沖縄国際映画祭に続き、夏の東京でも映画界の裏面史が披露された。出版社からの執筆依頼に対し、黒井氏は「絶対書かない。暴露本になっちゃうから」と一貫して固辞してきたが、今回、NG箇所に配慮する形で記事化にゴーサインをいただいた。その一部をご紹介しよう。(以下、敬称略)
【健さんの下着】
黒井がアドバイザーの肩書きで東奔西走した「南極物語」(1983年)。「ほとんど北極(および北米)で撮った」と明かす同作の主演・高倉健にもエピソードがあった。
「北緯74度、人間が泊まれるホテルの北限がカナダにあって、役者はそこでロケした。零下30度だっていうんだけど、風が20メートルくらい吹くから体感温度はマイナス50度くらい。健さん、俺に言うんだ。『ちょっと頼みがあるんだけど。寒いのアレだから、温かい下着を作りたい』。下着なんかせいぜい2~3万円だと思うじゃねえか。『お、いいよ。作れ作れ』つったんだけど、後で請求書見たら“マル”が多すぎていくらだか分かんない。え、100万かよ!最高級のカシミヤでパンツとももひきを作ってた。しかも5組で計500万円。下着代が!」
【拓郎の“A面だけ”レコード】
黒井が製作した「刑事物語」は武田鉄矢主演で82年に第1作が公開され、87年まで5作続いた。主題歌は吉田拓郎が故郷の広島弁で歌い上げた名曲「唇をかみしめて」だ。
「拓郎に『なんか1曲つくってくれよ』って頼んで、書いてくれたんだけど、拓郎はこれ1曲だけだと言うんだ。でもレコードは裏表あるからね。しょうがないから、レコード会社の社長のところに行って、『片面レコード作ってくれよ。普通700円のところを350円にしろ』って。考えてみればムチャやったなと思うけど」
こうしてA面しかないドーナツ盤のEPレコードが誕生した。B面はラベルだけで音は出ない。発売時のキャッチコピーは「俺には裏が無い」だった。
【ハリウッドのレジェンド監督たち】
ヒッチコック監督とは「鳥」(63年)の現場で初対面。「本当に飛んでる鳥は三羽くらいで、襲う場面は助監督がくちばしでつついてた。『テクニックで見せる怖さが映画にはある』と言ってたよ」
スピルバーグ監督の米テレビ映画「激突」(71年)が、黒井の橋渡しで73年に日本での劇場公開デビュー作に。「あいつには日本映画のいろんな資料を送った。ウルトラマンタロウのビデオが『ET』のヒントになった」
コッポラ監督とは「ゴッドファーザー」(72年)製作前からの付き合い。「最初はマフィアが映画化に反対したんだけど、ラッシュを親分に見せたら涙を流して喜んじゃってね。2作目も作られて、これがまた長い。1日2回しか上映できないから、3回やるために日本では2時間何十分に縮めた。『お前が切ったからつまんなくなった』ってコッポラに言われたよ(笑)」
【最高の女優とは】
神戸での交渉事にも加わった高倉主演の東映映画「山口組三代目」(73年)の舞台裏や、大スターたちの“武勇伝”もここでは伏せておこう。「昔は私生活メチャクチャ、作るものはマトモ。今は私生活マトモ、作るものはメチャクチャ」。黒井は実感を込めた。
こんな人間味のある逸話もある。「鶴さん(鶴田浩二)に『最近、高倉と仲いいらしいな。俺と高倉とどっちなんだ』って言われて、『いや、どちらも日本映画の宝ですから、どっちも大事です』って答えたら、『そんなこと聞いてんじゃねえよ。俺と高倉とどっちだ』って(笑)。男優って売れると女だからね。そして女優は売れると男になるから」
その話から女優論に発展。「俺は高峰秀子が日本映画史上で一番すごい女優だと思ってるんだけど、今の現役で最高だと思う女優は1人しかいない。大竹しのぶ」とキッパリ。「体が自然と動いちゃうらしいんだ。なんでそんなにすごいのかって大竹に聞いたら、『知らない。自分では認識してない』って」
市川海老蔵への思いも語った。「あの時(2010年の事件)、俺は『お前、外で酒飲むなよ、うちで飲め』って言った。女房ががんになった時も言ったんだ。『てめえがよその女とやったなんてことになったら、世の中の女から袋叩きだぞ。それだけは絶対ダメだぞ』って。一切、やんなかったね、あいつ」
参加者は主に30~40代の男女。黒井節は“懐古”ではなく、“発見”の連続だった。(デイリースポーツ・北村泰介)