【サッカー】選手を批判しなかったペトロビッチ氏「すべての責任は私に」

 J1浦和のミハイロ・ペトロビッチ監督が解任された。結果が伴わず、その采配や選手起用について、特に今季に関しては疑問の声が強く飛んだ。妥当な決断だったかもしれない。ただ、「ミシャ」と愛称で呼ばれた指揮官は「すべての責任は私にある」と言い続けて、実践してきた。

 憎まれっ子のように、フロントに対して、補強への不満を愚痴る姿は確かにあった。その一方で、選手の個別の評価をすることを嫌がった。思い起こせば、その口から選手批判は一度も聞いたことはなかったことが強く印象に残る。「すべての責任は私にある」。だから、選手に責任は問わない。その根底には選手を「息子」と呼ぶほどの愛情があった。

 今年1月、浦和の初練習の日だった。ひととおりの会見の最後に、自ら口を開いた。

 「31年前、ディナモ・ザグレブでプレーしていた。カップ戦でファイナルまで進んだ。当時のイヴィッチ監督は多くの有名クラブを率いた監督だった」

 こう切り出した。そして、語られたのは監督論だった。

 「1点リードしていた後半、相手が攻勢に出ると、監督ができることといえばベンチサイドで感情をあらわにすることだけだった。だが、終盤に相手の圧力がさらに強くなると、監督はピッチの、芝の中に入ってきた。レフェリーは試合を止めて、彼と話をした。5分かかってレッドカードで退席処分となった。その5分がチームの助けとなり、1点リードのまま勝利したんだ」

 話は当時の試合後の記者会見へと及んだ。

 「メディアからは『なぜそんなことをしたんだ』と質問が飛んだ。彼の解答はこうだった『私の家が大火事になって、その中に自分の子供がいたら、もちろんそうなると思う。火の中に入って助ける。私はそうしただけだ』」

 調べたところ、ペトロビッチ氏は84-85シーズンの1年間、同じく1年だけ指揮したトミスラフ・イヴィッチ監督率いるディナモ・ザグレブに所属している。その年、確かにユーゴスラビア・カップの決勝に進出していた。ただし、決勝ではレッドスター・ベオグラードと2戦して、1-2、1-1で敗退している。勝敗に関しては記憶違いかもしれない。

 浦和は7月5日、アウェーの等々力で川崎に1-4で敗れた。試合後、ペトロビッチ氏は正面入口と、バス出入り口前で、2度も興奮したサポーター集団と直談判に応じた。誰から促されたわけではなく、危険を顧みず、自らの判断でいったん乗車したバスから降りて、話し合いの矢面に足を運んだのだった。

 「新潟戦から連勝スタートできなければ一番にこのチームを去る」。熱くなってそう宣言したのはこのときだった。このやりとりを見て、シーズン前の“31年前の話”を思い出した。ペトロビッチ氏はその話の締めに、こう話していた。

 「あの監督のように、エモーショナルな、そういう行動をとる。監督とはそういう職業。私もそういうタイプ。感情的に反応することで私の子供たちを助けたいときがある」。

 “父”として“子”を助ける-。「すべての責任は私にある」と言い続け、去っていった指揮官。そのスタンスは限りなく純粋だった。(デイリースポーツ・鈴木創太)

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