【野球】強豪私立にもノビノビ野球はある 神戸国際大付が夏初勝利を挙げるまで
12日に創部54年目の夏初勝利を挙げた神戸国際大付。ヤクルト・坂口らプロ選手も輩出している同校が夏未勝利だったことを意外に思った人もいるかもしれない。母校を率いて27年目の青木尚龍監督(52)は「校歌を聞くと泣けた。甲子園で1勝するのは大変だった」と感慨深げだった。
監督は同校の保健体育教師。前身の八代学院、愛知工大では外野手だった。母校のコーチを経て1990年に監督に就任した当時、チームは無名だった。荒れ放題のグラウンドの草を抜き、トラックを借りて土を運んだ。「必ず甲子園に行く」という宣言も、最初は本気にされなかった。
報徳学園、育英、東洋大姫路など強豪校がひしめく兵庫で少しずつ力をつけ始めた95年に阪神・淡路大震災が起こった。神戸市長田区内の自宅は半壊し、実家は全壊。学校で避難生活を余儀なくされたが、それでもすぐ練習を再開し、2001年春に念願の甲子園初出場を果たした。
練習では精神論も掲げて厳しさを貫くが、グラウンド外での指導は明るく楽しい。部員全員での吉本新喜劇の観劇するのは年に一度の恒例行事。監督自身が大のプロレスファンで、同校のヒッティングマーチにはプロレスラーのテーマ曲が多数使用されている。
週1度は寮に泊まり、選手たちと寝食をともにする。チーム内の上下関係の垣根は低く、初戦のヒーロー谷口は上級生から「タメグチ」と呼ばれているが、上級生が目くじらを立てる雰囲気はない。卒業後に上下関係が厳しい大学に進学した選手が、監督が先に入っている風呂に気後れせず堂々と入っていき、皆から驚かれたという笑い話もある。
一方で、なかなか甲子園に届かず「うちはみんないい子なのに、なぜ勝ちきれないのか」ともらしたこともある。チーム内のおおらかなムードが、時に試合で甘さを生むことがあったかもしれない。
しかし、選手に極端なストイックさを押しつけないというスタイルを貫いてきた指導が、紆余(うよ)曲折を経て2年生の3ランに結実したように思える。強豪私立らしからぬノビノビ野球に高校野球の新しい風を感じた。(デイリースポーツ・船曳陽子)