【野球】ミラクル佐賀北の監督が退任した理由 07年全国Vの名将が見せた「潔さ」

 10年前の夏-。この夏、全国準優勝の広陵(広島)を破って全国の頂点に立ったのが「ミラクル」と呼ばれた公立校の佐賀北だった。その佐賀北を率いた百崎敏克は、この夏、佐賀大会の準々決勝で敗退すると、自ら監督の座を降りた。

 「勝った負けたは、関係ない。もう、この夏で辞めるというのは最初から決めてたこと」

 実は5月に百崎を取材し、そのあたりのことにも触れたのだが、つゆほどもそんな雰囲気は感じさせなかった。

 じつに百崎らしい、潔く、かつ静かな退場の仕方だった。

 理由はひとつだ。昨春、優勝時のエースである久保貴大が佐賀北に赴任。最初の赴任校のため、いつまでいられるかわからない。そこで、1年でも早く久保に任せようと、身を引いたのだ。百崎は今、副部長として練習に参加しているが、ほとんどしゃべらず、遠くから見守っているだけだという。

 百崎は、ある監督から何度となく「絶対に自分から監督をやめるな」と釘を刺されていたと話す。

「その監督は『高校野球の監督は全国で約4000人しかできないんだよ』ってよく言うんだよ。そら、副部長より監督の方が楽しいよ」。野球への執着が薄いわけではない。常日頃から「自分から野球を取ったら何も残らない」と話すし、実際そうだろう。

 百崎は酒もほとんど飲めないし、たばこもやらない。正真正銘の堅物だ。趣味らしい趣味といえば、錦鯉を鑑賞する程度である。

 そうであっても、「何も残らない」自分を選ぶことができるのが百崎なのだ。

 公立と私学では事情が異なるのだろうが、強豪私学の監督が後継者として教え子を自分のもとに置いたまま何十年も経過してしまう例などざらにある。中には「口約束」がいつまでも実行されないことで師弟関係がこじれ、教え子が監督のもとを去っていくというケースもある。

 頭で辞めるべきだとわかっていても辞められないという監督の気持ちは、わからないでもない。常総学院の監督として80歳まで指揮をとり続けた木内はよく「高校野球の監督は麻薬だから」と言っていたものだ。つまり高校野球の監督とは、辞めるのではなく、断つものなのだ。だから、よっぽどの意志の強さがなければできない。もっと言えば、自分の力ではどうしようもないのかもしれない。

 ただ、百崎には、自ら断つ強さがあった。だから勝つこともできたのだと思う。

 百崎は今年3月で定年を迎え、今は再任用の身だ。これからは1年ごとの契約となるため、来年も佐賀北にいるかどうかはわからない。

 ただ、百崎はまだ61歳である。今の時代であれば、これからひと花もふた花も咲かせられる年齢だ。ちなみに木内が初めて全国制覇したのは53歳の時で、さらに70歳を超えてから2度日本一を勝ち取っている。

 百崎は以前、監督を辞めたら新潟の錦鯉の里を巡るのが夢だと話していたが、その楽しみは、もう少し後に取っておいたらどうだろう。(ノンフィクションライター・中村計)

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