【野球】巨人での40年間を学生に伝える…首都大学リーグ2部で監督を務める元G戦士

 玉川大学監督の樋沢良信氏
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 すべての道が今につながっている。選手、スカウト、スコアラー、コーチ、寮長。巨人で40年にわたり、多様な役職をこなしてきた樋沢良信氏(67)。今は首都大学野球リーグ2部の玉川大学で監督として、学生たちにゲキを送り続けている。

 「巨人の現場でやれることはすべてやった。まさか、自分が40年間も巨人で働けるとは思わなかったね」。

 樋沢氏は東北高から電電東北の硬式野球部(現東北マークス)を経て、1970年のドラフト4位で巨人入団。V9時代で将来を期待されたが、故障に悩み1軍出場を果たせずに75年に現役を引退した。

 それでも「勝つための野球も学んだし、ライバルを追い越すためにいろいろなことを考えた。巨人でやれたことは誇りに思って良いのかな」とONを中心にスター選手が居並ぶチームで競争に明け暮れた日々は、樋沢氏の原点となっている。

 以降は、さまざまな経験値を積んだ。現役引退後はスカウトに転身。その後は「野球の見方が変わった」と話すチーム付きスコアラーを経て1軍~3軍のコーチを歴任。2005年から定年までは巨人選手寮の寮長を務めた。

 当時の寮生は坂本勇、長野ら、後に巨人を支える面々。特に樋沢氏が印象深いのは坂本勇だ。「スカウトから『やんちゃな子』といわれていたけど、そんなことはなかった。しっかりとあいさつもできる。話をしても返ってくる言葉が違っていたよ」と振り返った。

 特に1年目の07年に母を亡くした際の姿を今でも忘れられないという。「俺も大阪へ行ったけど、気丈にみんなにあいさつをして回っていてね。涙ひとつ見せずに。強い子だなと思いましたね」。そうした中で、時に線が細かった坂本勇に食事面の大切さを説き、悩んでいる若手らの相談相手にもなる。これまでのデータ収集や技術指導とは違う面でチームを支えた時間だった。

 10年に定年を迎えて退団。選手として入団し、球団職員として定年を迎えるまで巨人に在籍し続けたのは、長い歴史でも樋沢氏1人だけだという。その経験が、64歳で就任した玉川大学監督という今に生きている。

 「巨人でやってきたことを1つ1つまとめながら教えている」という樋沢氏の基本理念は「考えて動く“考動力”」。ワンプレーの意味を自ら考え、動く。それは野球の技術だけでなく、社会性を育むことにもつながる。

 就任から4年。部員の数は約4倍に増えた。それでもリーグ戦前の合宿にはほとんどの選手を帯同させる。そして選手は、アルバイトなどで合宿費の一部を負担する。「大学には野球だけを学びに来ているのではない。その先に彼らの一番大事な人生が始まるから」。そこには社会とのつながりを持ち、自らの責任で野球を続ける意識を作る狙いもある。

 強豪大学のように恵まれた環境ではないからこそ、学べることは多い。そして「一人一人の性格を見て、こういう方法で指導していかないといけないというのが少しずつ分かってきた。その中で選手たちも育ってきた」と手応えも感じている。

 巨人での40年間のすべてを懸けて伝えたいことは、野球を楽しむということ。その先に樋沢氏の夢がある。

 「1部昇格がみんなの目標。そういう気持ちの中で立ち向かっていかないと勝てない。1球の重み、1球の苦しみを、どう考えていくかだと思う」。楽しみながら勝つ。簡単ではないが、その情熱は決して衰えない。坂本勇や長野へ向けられた優しいまなざしは今、ひたむきに白球を追う学生たちへ注がれている。(デイリースポーツ・中田康博)

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