【野球】ケガとともに生きた阪神・狩野が残した“足跡” 9歳下の後輩へ託した思い
今にもセミが鳴き出しそうな暑い日だった。現役引退の決意を固めた背番号99が、球団事務所に歩を進める。ケガに泣き、またケガに生かされた17年間のプロ野球人生。阪神の選手会長・狩野恵輔外野手(34)は涙を流し、ときに言葉を詰まらせながら思いを伝えた。
「なかなか普通の野球選手じゃ経験できないことをやってきたので、それは自分の財産というか経験だと思います。これからも胸に刻んでいきたいです」
記憶に新しいのは“代打の神様”として君臨した前年までの2年間。特に16年は66試合に出場して打率・241、3本塁打、17打点と勝負強い打撃でチームを支えた。つらく、苦しい日々を乗り越えて得た充実の日々。それだけではない。自身の活躍と同じくらい、9歳下の後輩の大躍進も心に響いていた。
09年、狩野は矢野の後継者として初の開幕スタメンを獲得した。同シーズンは自己最多127試合に出場。正捕手の座をつかみかけたが、10年秋に椎間板ヘルニアを発症。手術に踏み切ったものの、その後も再発を繰り返した。11年には外野手登録となり、翌12年には育成契約に。悔しさを募らせる中、同じく原口文仁捕手(25)も3桁の背番号から再スタートしようとしていた。
捕手としてプロの門をたたいた原口だが、狩野と同様に腰痛を患った。再発を繰り返し、鳴尾浜で苦悩の毎日を送っていた。もうダメなのか…。そんな時、親身になって言葉をかけたのが狩野だった。同じ境遇を味わい、懸命に再起を図ろうとする後輩が自身と重なったのだろう。1軍の舞台を夢見て、2人で生きる道を探した。
狩野は「文(原口)といろんな病院を調べて、なんとかしたいという気持ちで必死だったね。それで一つ見つけたときがあって、文が『狩野さん先に行ってください』って言ってきたんよ。俺は『はっ?実験台かよ』ってすぐ返した(笑)。そのやりとりは、全て覚えてるね。だから、(原口の)活躍はうれしいな」と話した。
原口は、昨年4月27日付で支配下登録選手に復帰。5月に月間MVPを獲得、オールスターにも初出場するなどシンデレラストーリーを駆け抜けた。勝利の喜びを、同じグラウンドで味わえる幸せは格別だ。苦境をはねのけ、共に歩んできた努力の跡を振り返る。今思えば、懐かしい。かけがえのない思い出となった。
「僕は優勝メンバーでもないですしね。(若い選手に対しては)『諦めずに頑張れよ』と。僕が言う、適当な言葉かなと思います」
狩野が残した17年分の“足跡”は、タイガースの財産。若虎たちにとって、野球人生を歩む上で最高の道しるべとなるに違いない。(デイリースポーツ・中野雄太)