【競馬】戦列復帰間近の川島が語る“戦友”オースミハルカ、そして岡潤一郎
今月1日。ケガで戦列を離れている川島信二騎手(34)=栗東・フリー=が、久しぶりに栗東トレセンに姿を見せた。節目の通算300勝まであと“1”と迫った先月5日。ゲート練習の際に落馬し、胸椎の2カ所を圧迫骨折。近況を聞くと「きょう退院しました。調教は7日に復帰予定。18日あたりからレースに乗りたいですね」と戦線復帰へ意欲を見せていた。
この時期が来ると忘れられない馬がいる。川島とコンビを組み、けれん味のない逃げでファンを沸かせたオースミハルカだ。重賞は4勝を挙げたが、同馬のベストレースは05年エリザベス女王杯。2着に敗れはしたものの、人馬一体となって戦った、川島の乾坤一擲(けんこんいってき)の騎乗は熱かった。
前年2着のリベンジを誓った一戦。最内枠を引き当て、ゲートが開くと一目散にハナを主張した。1~2角で既に5馬身、向正面では10馬身ほどリードを広げて“一人旅”
「気が強過ぎるところがあって、並んで走ると気持ちを前に出し過ぎてしまうんです。でも、あの時はすんなり行かせてもらえたので、耳を立てながらリラックスして走っていましたよ。数字を見てもらえば分かりますが、それほどきついラップは刻んでないんです(前半5F60秒0)。2番手の幸四郎さん(ウイングレット10着)が抑えてくれたので、僕らにとって理想的な展開になりました」
4角でも後続に5馬身リード。リズム良く運んだハルカの燃料は十分残っていた。直線へ向かい、川島はターフビジョンで位置取りを確認。ラスト1F。残りあとわずか-。その時だった。大外からスイープトウショウが驚異的な末脚を繰り出し、必死に逃げ込みを図るピンクの勝負服に猛然と襲いかかった。
無我夢中でゴール板を突破。頭のなかは真っ白。事態を把握できぬまま引き揚げると、非情にも2着という現実を突きつけられた。
「ウチの義父さん(田島良保元騎手・元調教師)が騎手時代に同じような境遇にあったそうで。その言葉を借りれば“(京都競馬場内にある池の)白鳥が飛んできたのかと思った!”って感じでしたよ(笑い)。スイープの気配は全く感じませんでした。ハルカも止まってはいなかったし、ゴール板を過ぎてからも脚は上がっていませんでしたからね。あれだけの脚を使われては仕方がありません」
当時22歳。安藤正敏厩舎に所属した川島にとって、何としても獲りたいレースだった。彼の兄弟子は、93年にレース中の落馬事故で亡くなった故・岡潤一郎騎手。岡の唯一のG1勝利こそ、91年のエリザベス女王杯(リンデンリリー)だった。
「射手座のB型。野球少年だったという点も一緒でしたし、重ねている自分がいました。そういう背景がありましたから、スタッフもみんなで僕とハルカをバックアップしてくれて。厩舎一丸となって勝利を目指していました。当時、まだ若かった僕は、本音を言えばローカルを回って勝ち星を積み重ねたかったけれど、土日もハルカの調教をつけるため、猛者が集う本場に残って乗っていました。付きっきりで調教をつけて絆が深まったこともあり、あの女王杯の時はレースへ挑むまでの過程が本当にうまく行って。生涯最高と言える状態だったので、レースはああだこうだと考えず、思い切って乗りました。スタートからゴールまで、もう“2人の世界”でしたね。結果としてG1には手が届かなかったけど、ハルカには競走馬をイチから造り上げていくという楽しさを教えてもらいました」
現在、17歳となったオースミハルカは、北海道浦河町の鮫川啓一牧場で繁殖生活を送っている。「今夏も会いに行きましたが、牧場のボスになっていますよ。繁殖牝馬同士でもランク付けするみたいで、子どもと一緒に放牧へ出ても、ハルカが一番最初に戻ってくる。そうしないと機嫌が悪くなるみたい。周りも気を遣って控えています(笑い)」。繁殖成績は優秀で、3番子のオースミイチバンは川島の手綱で交流G2を2勝。6番子のオースミラナキラも現在、1000万下で堅実な走りを見せている。
その下にはノヴェリスト産駒の牡馬2頭がおり、今年はエピファネイアの牡馬が誕生。このとねっこが、今から楽しみで仕方がないそうだ。「エピファが勝った(14年)ジャパンカップに僕も乗せていただいて(サトノシュレン17着)。あのケタ違いの強さを肌で感じる機会に恵まれましたからね。性格的にもハルカと相性がいいと思うんです。馬の形もいいし、本当に楽しみ。このまま順調に育ってほしいですね」。戦友・ハルカの子で再びG1のステージへ-。その日を夢見て、川島は走り続ける。(デイリースポーツ・松浦孝司)