【野球】ベース踏まず消えた“幻の甲子園”…藤岡中央は62年前の無念晴らせるか

 来春センバツの21世紀枠候補校に、今秋の群馬大会で4強入りした県立校・藤岡中央が選ばれた。来年1月26日の選考委員会で、全国9地区の候補校から出場する3校が決まる。藤岡市の学校は過去、春夏の甲子園には出場していない。ただ、藤岡中央の前身にあたる藤岡が、限りなく聖地に近づいた夏がある。

 1956年の北関東大会。当時は1県1代表制ではなく、群馬、栃木、茨城の3県から1校だけが夏の甲子園に出られた。初めて決勝に進んだ藤岡は足利工(栃木)と対戦。息詰まる投手戦で延長に突入し、1-1の同点で迎えた十五回裏、その場面が訪れた。

 2死満塁のチャンスをつかんだ藤岡。一、二塁間に飛んだ当たりは相手がはじいて外野へ抜け、三塁走者はホームに返る。誰もが甲子園出場を確信した。ところが、打球の行方を見た一塁走者は、喜びのあまりか、二塁ベースを踏まなかった。これに気付いた右翼手がボールを転送し、二塁封殺でチェンジ。まさかの展開でサヨナラを逃した藤岡は、延長二十一回に勝ち越され、力尽きた。

 「サヨナラだと思った選手は整列して、スタンドではみんな、校歌も歌い始めたと聞いていますよ」と藤岡中央野球部後援会の中島守会長。この出来事は、OBらには“幻の甲子園”と呼ばれているそうだ。藤岡は以降聖地の土を踏むことなく、藤岡女子とともに07年に閉校。藤岡中央が新設された。

 県南部に位置する人口約6万6千人の藤岡市にある高校は3校。群馬の県立校は全県1学区のため、隣接する高崎市や遠くない前橋市に進学する選手も多いという。そんな中、今秋の4強は久々の快進撃だった。

 今年のチームは地元の絆が強みだ。主将の下田匡希外野手(2年)ら秋のレギュラー7人が藤岡北中出身。中3夏に県4強入りしたメンバーが中心で、他の部員も近隣の中学出身だ。小、中でも主将だった下田が、中学時代の恩師の影響を受け「藤岡を盛り上げよう」と決意。野球部のみならず、シニアやボーイズに所属していた同級生にも藤岡中央への進学を呼びかけた。市外への“流出”に歯止めがかかったことが、例年とは違った。

 今夏までは藤岡時代を踏襲したユニホームを使用していた藤岡中央。来春センバツ出場が決まれば“幻の甲子園”から実に62年の時を経て、悲願の初出場を果たすことになる。「何とか選ばれてもらいたいね」と中島会長。当時の試合に出場し、今回の吉報を楽しみにしているOBもいるという。

 主将の下田は「出られたら、もっと盛り上がる。どちらになっても大丈夫なように、責任と自覚を持って行動したい」と口元を結んだ。藤岡から甲子園へ-。地元で夢を目指すことを選んだナインは、大先輩たちの無念を晴らせることも願って、春を待っている。(デイリースポーツ・藤田昌央)

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