【野球】メジャー挑戦の大谷と日本最終打席で対峙した新人左腕の1年
昨年10月9日にKoboパーク宮城で行われた楽天-日本ハム戦の七回、1死満塁で打席には日本ハムからポスティングでエンゼルスに移籍した大谷翔平投手が立っていた。マウンドの高梨雄平投手は、こん身のスライダーで腰を引かせ、見逃し三振。これが大谷の日本での最終打席となった。高梨にとっては、プロ1年目を凝縮する対戦だった。
1年前、このような場面が訪れようとは、おそらく想像しえなかっただろう。一昨年12月、JX-ENEOSのグラウンド。左腕は年末年始返上で黙々と汗を流し、ネットスローを繰り返していた。早大から入社2年目の16年、プロ入りへのラストチャンスをつかむため、オーバースローからサイドスロー転向に踏み切った。努力が実り、ドラフト9位でのプロ入りを決めたものの、実は新フォームはまだ固まっていなかったのだという。「自分は下の下の状態。ゼロからつくりあげる必要があった」。キャッチボールではなく単身で、己と格闘していた。
楽天ではルーキーながら開幕1軍をつかんだ。そして4月6日のソフトバンク戦(Koboパーク宮城)ではプロ初勝利。順調に来ているかに見えたが、「毎日変わるフォームと戦っていました。全然、打者と勝負できていなかった。勝負しているベクトルが自分に向いていた」と振り返った。
5月に2軍降格し、約1カ月のファーム暮らしを経験。だが、高梨にとって、この時期の存在が吉と出た。時間を掛け、徹底してフォーム固めに取り組むことができた。最大の難題を克服し、6月7日に1軍復帰すると、もうそこからはブレなかった。
1年を終わってみれば、46試合に登板し防御率1・03、CSでは8戦中7試合に登板し左の“中継ぎエース”としフル回転。4年ぶりAクラス入りしたチームに欠かせないピースとなった。
そんな高梨にとって、冒頭の大谷との対戦は、このルーキーイヤーの集大成的なものだった。
高梨は振り返る。
「いい意味で、大谷選手と対戦しているという意識がなかった。球場の雰囲気も独特でしたが、そういうものをすべて排除して、1人の打者として向き合えた。大谷選手の日本の最後の打席というのは、たまたまの巡り合わせだと思いますが、今年やってきたことを出せたのが、あの場面だったのかもしれない」
来季もブルペンに欠かせない存在になる。だが、口にするものは、「最低50試合登板」でも、「勝利の方程式入り」でもない。「目標は70試合登板です、って言えばカッコいいかもしれないですけど、自分はまだスタートラインにも立っていないと感じています。1年間、フルで1軍にいられたら、それが初めてスタートなんです」。その飽くなき心が原動力になる。
契約更改では275%アップの3000万円(金額は推定)でサイン。1年目の活躍にも浮かれることなく、オフ返上で体を動かしている。
2年目は年間を通して1軍でフル回転するため、体調管理にはより気を使っている。オフに退寮し1人暮らしとなったが、得意の自炊で強じんなスタミナを蓄えている。「食事は3年後、5年後、必ず体に出てきますから」。ストイックなまでの姿勢は、グラウンドにとどまらず、日常生活にも出ている。左のスペシャリストとして、変わらぬ信頼を勝ち取り、さらなる進化を求め続けていく。(デイリースポーツ・福岡香奈)