【野球】阪神・淡路大震災発生の1995年「がんばろうKOBE」オリックスがパ制覇
阪神・淡路大震災発生から23年がたった。1995年のプロ野球シーズンは、被災地の神戸を本拠地とするオリックスが、阪急時代の84年以来となる11年ぶりリーグ制覇。「がんばろうKOBE」のワッペンをユニホームの袖に施し、仰木彬監督の下、イチローらが活躍した。(球団は当時、敬称略)
開幕戦はグリーンスタジアム神戸でのロッテ戦だった。スコアは3-2でオリックスの勝利。2-2の同点で迎えた八回に勝呂壽統が、左翼席へ勝ち越しソロ本塁打を放ち、試合を決めた。開幕投手は40歳のシーズンを迎えていた佐藤義則。白星こそつかなかったが7回を5安打2失点の好投だった。
この年の佐藤は8月26日・近鉄戦(藤井寺)でノーヒットノーランを達成。40歳11カ月での記録で打者31人に対して5四死球、7奪三振。中日の山本昌が41歳1カ月だった06年9月16日・阪神戦(ナゴヤドーム)でノーヒットノーランを達成するまで、最年長記録だった。
一方、4月21日のロッテ戦(千葉マリン)で野田浩司が、日本記録となる1試合19奪三振。また、平井正史は53試合に登板して27セーブを挙げたほか、15勝7敗で勝率・750。最優秀救援投手と最高勝率、最優秀新人賞に輝いた。
イチローといえば打率・342、25本塁打、80打点。タイトルは首位打者、打点王、最多安打(179安打)、盗塁王(49盗塁)、最高出塁率(・432)を獲得した。
一方、セ・リーグ優勝はヤクルト。野村克也監督の6年目の年で、古田敦也らが中心メンバー。阪神から移籍したオマリーが最高出塁率(・429)、ブロスが登板32試合で14勝5敗、防御率2・33の成績を挙げ最優秀防御率のタイトル。石井一久は26試合で13勝4敗1セーブ。勝率・765で最高勝率に輝いた。日本シリーズではオリックスを下し日本一に。翌96年はオリックスが巨人を破り、19年ぶりの日本一となった。
この年は復興チャリティーゲームも開催された。オールスター前日となる7月24日に福岡ドームで実現。日本選手選抜「ジャパン ドリームズ」と助っ人選抜「フォーリン ドリームズ」との対決だった。
王貞治監督(ダイエー)が指揮を執った「ジャパン-」のスタメンはイチローをはじめ、野村謙二郎(広島)や松井秀喜(巨人)らが名を連ねる。一方、助っ人選抜の指揮はロッテのバレンタイン監督。オマリー、フランコ(ロッテ)らが先発出場した。
ちなみに助っ人選抜には、捕手をできる選手がいなかったため、大久保博元(巨人)らがマスクをかぶる特別ルールも。試合はイチローが本塁打を含む3安打猛打賞の活躍も、5-3で助っ人選抜の勝利。復興に向けて球界が一丸となったドリームマッチだった。(デイリースポーツ・記録部)