【オピD競馬】競馬の神様、再び。ジョッキー最後の日の出来事を懐かしむ松永幹調教師
長く競馬の予想をさせていただいているが、なかにはどうにも理解できないレースがある。モノ言わぬ馬だけに、凡走には納得もいくのだが、よもやの好走はあ然とするばかり。今から12年前のこのレースは、まさにその代表例と言えるだろう。
06年2月26日の阪神競馬場・第50回阪急杯。前夜からの雨の影響で不良馬場で行われたG3を制したのは、単勝11番人気の伏兵ブルーショットガン。この日で20年の騎手生活に終止符を打つ松永幹夫騎手が騎乗し、鮮やかな重賞Vで自らの花道を飾った。
3↓1番人気馬を引き連れても、3連単は21万超馬券の大波乱。この神懸かり的な出来事は、当時大きくクローズアップされた。ネットで調べれば、私よりも筆の立つ記者が、臨場感たっぷりにその状況を伝えている。ここでの役割は、若い世代に残しておきたい競馬史を伝えること。その楔(くさび)となれば幸いだ。
早速、栗東トレセンで松永幹夫調教師のもとへ。突然、12年前のレースを問われてやや戸惑い気味だったが、騎手としての“最後の日”を忘れるわけがなかった。「ああ、あの日ね。“こんなにうまくいくものか?”と思っていましたよ」と切り出し、懐かしそうに振り返った。
あの阪急杯は平常心で臨んだという。「普通の重賞に向かう感じでしたよ。人気もなかったので。(自身の)最後の重賞を楽しみたかった」。パートナーには、過去12回騎乗して3勝を挙げていた。「相性は良かったですね。結構気のいい馬で、調教は難しかったようですが、レースは特に問題ありませんでした」。直近の2走でも手綱を取り8、13着と大敗していたが、「阪急杯の時は、厩舎スタッフが良く仕上げてくれました。こちらは肩肘張らず、(ラストライディングまで)“あと2回で終わり”という気持ちでした。うまくいきましたね」。ゆとりを持った騎乗が、結果としていい方に出たのかも知れない。
勝負どころの3~4角。2番人気のコスモサンビームが故障するアクシデントはあったが、外めをスムーズに立ち回って直線へ。「4角を回るときの手応えが良くて。“あれっ?”と思いました。直線で抜け出して、あれよあれよとゴールへ。どんな気持ち?“勝ってしまった”という感じでしたね」。
ブルーショットガンの“功績”は、これだけではない。阪急杯での有終Vで、JRA通算1399勝をマーク。そしてこの日、最も期待していた馬が「ぐりぐりの1番人気(単勝1・5倍)でしたからね。“これは勝てるだろう”と思っていました」と話す、最終レースのフィールドルージュだった。
のちに交流G1・川崎記念(08年)を制した実力馬は、鞍上の期待に応えて快勝。「不思議なものですね。あの阪急杯を勝たなければ、1400勝も達成できなかった。最後の最後に、神様がプレゼントをしてくれたのかな」。気楽に臨んだ“あと2回”で大台に到達した。
最終レース終了後に行われた引退式。あいにくの曇り空ではあったが、時折笑みを浮かべながら、晴れ晴れとした表情で式に臨んでいた。「もう、やり切ったという感じ。涙も出ませんでした。最後の日に重賞を勝たせて頂いて、しかも1400勝という、区切りのいいところで現役を終えられましたから」。
前年の天皇賞・秋では、ヘヴンリーロマンス(14番人気)とのコンビで勝利し、馬上から天皇・皇后両陛下に最敬礼。数々のドラマチックなシーンを演じ“競馬の神様に愛された男”と称された。実際、当事者はどんな心境だったのか?聞けば「う~ん。何とも言えませんね。ああいうのは狙ってできるものではないですから。狙ってできるものなら、もっとやっていますよ」と言って笑った。
ちなみに、調教師に転身してからは「まだまだ。ああいう経験はしていませんね」。それでも、競馬に対する真摯(しんし)な姿勢を、神様はきっと見守っておられるはずだ。
仕事柄、予期せぬ出来事はあまり歓迎できないが、単なるギャンブルではなく、ドラマがあるのが競馬の魅力でもある。今なお愛され続ける男・松永幹夫のもとに、再び神様が舞い降りて来るような気がしてならない。(デイリースポーツ・松浦孝司)