【サッカー】3・11、それぞれの思い…鹿島・小笠原「2度と起きてほしくない」

 東日本大震災から、7年の歳月が流れた。前後して、取材する折々で震災に触れる機会があった。そのたびに、心に残る語録があった。

 3月10日は被災地の宮城・ユアテックスタジアムでJリーグ仙台-神戸戦を取材した。阪神淡路大震災で被災した神戸との試合は「復興応援試合」というサブタイトルがついた。攻勢に出ながら先制された仙台の共通意識は“諦めない姿勢”。果敢な攻撃を続けて、後半41分、石原のゴールで同点に持ち込んだ。

 渡辺晋監督はこう総括した。

 「勝ち点3を取って、被災地で困難な状況にある方々であったり、ユアスタに来られない方々であったり、そういう方々に、歓喜を届けたかったのですが。今日の選手たちの最後までひたむきに戦う姿勢というものも、何か心を動かすものが届けられたのではないかと思っています」。

  ◇  ◇

 その戦いで同点ゴールの起点になったのは、途中出場のMF菅井直樹だった。右サイド深い位置から、鋭いクロス。味方FWのシュートのこぼれ球を石原が決めたものだった。

 菅井は03年に仙台入り。生え抜き最古参で、今や数少ない震災当時から仙台に所属する選手の1人。「いろんな思いがある。自分の言葉では言い表せない」と3・11に関する問いに複雑な表情を見せた。

 「最後まで諦めずに戦う。それを見せられたのはよかったと思う。本当は勝つことがよかったけど」と試合を振り返る。1点を追う展開でピッチに送り出された。「負けている状況で、何とか追いつきたい、(自分の投入は)そういうメッセージ。何かやってやるという気持ちだった」と振り返る。同点弾に導くクロスを「『決めてくれ』という思いを込めた。結果的に点を取ってくれてよかった」と振り返った。諦めない気持ちが、届いた。

  ◇  ◇

 翌3月11日は、鹿島の練習を取材した。震災当日。報道陣の前に立ったMF小笠原満男は「思うことはいろいろとある。つらい日でもある」と切り出した。

 岩手県出身。震災以来、継続的に復興支援活動を行っている。

 「7年になるけどいまだに仮設住宅で暮らす人もいる。津波の被害にあったところも復興はまだ。7年でこれしか進まないのかというくらい、復興は遅れている。2000人くらいの人がいまだに行方不明。原発の影響もある。数多くのいろいろな問題があると思います」

 小笠原の母校のある大船渡市に、昨年末、人工芝の多目的グラウンドがオープンした。被災した赤崎小学校の跡地にできたグラウンドをリニューアルしたもの。小笠原自身も芝の選定など完成に尽力したものだ。

 人工芝グラウンドは、多くの可能性を秘めている。

 「人口が減って、被災地から流出している。サッカー人口も減って1チーム11人組めないチームもあるという。人工芝を使って、スポーツを子どもたちができる環境を作れれば」。

 全天候、季節も問わずに使用できるグラウンド。そこに子どもたちが通うことで、人が根付いていく。地域の復興へ少しでも寄与できればという思いが込められている。そしてもう一つ。

 「(グラウンドを)作って終わりじゃなくて、活用できる大会やサッカー教室をやりたい。外から子どもたちを呼んで被災地を見てどう感じるか。東日本大震災を知らない人が生まれてきている。小学生で記憶のある人はギリギリだから」。

 すでに18年初頭に大会を開催。今後も時期を見て定期的にイベントを行う。繰り返すことによって人工芝グラウンドは、震災を語り継がれる場にもなる。

 「2度とああいう被害が起きてほしくない。南海トラフで関東大震災クラスの大地震がかなり高い確率でくると言われている。地震や津波は人ごとと思ってほしくないと訴えていきながら、地元の活性につなげていくことが理想かな」(小笠原)。

  ◇  ◇

 13年末。当時担当していたプロ野球のDeNAは中畑清氏が監督を務めていた。福島出身でオフに被災地を巡った、中畑氏と同行取材する機会があった。「この震災を風化させてはいけないんだ」。当時、まだより多くの爪痕を残す被災地を目にして、普段は明るい中畑氏が、涙ながらに熱く訴えていたことを覚えている。

 震災から7年。まだ復興は終わっていないという問題。そして、今後訪れる震災に対する被害を最小限に防がねばならない課題。風化させてはいけない2つのテーマがある。

 「2度とああいう被害が起きてほしくない」。小笠原の切なる言葉もまた、風化させてはいけない。(デイリースポーツ・鈴木創太)

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