【野球】「もう、きれいには辞められない」 レジェンド岩瀬が考える引き際

 何度もあった。レジェンド左腕が考えた潮時だ。左肘を痛め登板なしと沈んだ2015年、カムバックをかけて挑んだ2016年。「引き際はずっと考えている。もう、きれいには辞められないから」。苦しんで、もがいて、悩み続けた。そんな中日・岩瀬仁紀のプロ20年目がいよいよ幕を開ける。

 今年初登板となった2月24日の日本ハムとのオープン戦で3者連続被弾。いきなり3失点を喫した。それでもここから状態を上げていくのがベテランの真骨頂だった。オープン戦は計6試合で投げ、初登板を除くと失点を喫したのはわずか1試合。27・00からスタートした防御率を7・50まで下げ、開幕1軍に名を連ねた。

 過去19年間のプロ生活の中で19分の1。投げられなかった時間はたったわずかだ。それでもそれは岩瀬にとって時が止まった瞬間でもあった。「すごくいろんなことがあったし…急に時間が進まなくなったような感覚はある。それは今も続いている」。積み上げてきたものが大きすぎて、時計の針はなかなか動き出さなかった。

 そして今、ゆっくりと動き出す。2017年9月10日。前人未到の954試合目の舞台に立った。大台が見えてくる境地にまでたどり着いたが、岩瀬自身は「あくまでそこを目指してやっているわけではなくて、結果を出して1000試合にたどり着ければいいっていう気持ちでやっている」と自然体を貫く。

 これまで1999年から15年連続で50試合以上登板を続け、昨季も50試合で打者と対峙した。残り46試合。それでも鉄人にとっては、まだ46試合もある-なんだという。「ケガしてからまだ100試合も投げていない。あと46試合っていったらすぐ過ぎると思っていただろうけど、今はそれがものすごく長い道のりに感じる」。もう全盛期の自分とは違う。たどり着けるかどうかの瀬戸際を感じながらも、懸命に前を向いた。

 -どうして投げられないのだろう。

 苦しんだ期間は、自問自答の繰り返しだった。捕手をようやく座らせられると思ったら、また違和感。戦列を離れてからチームはBクラスの一途を辿り、抑えの重圧に苦しむ後輩を見つめても、手を差し伸ばせない、やるせなさが残った。投げられないという葛藤を乗り越えても今なお、左腕は苦しんでいる。

 「あのまま終わっていた方が楽だったのかもしれない。あのまま投げられないで終わっていた方がよかったのかなと思うときもあるけど…でもこうやって苦しみながら野球をするというのも勉強になる。そう簡単にはいかないってこと」

 そんな岩瀬に、新たな“肩書”が一つ増えた。兼任コーチ-。開幕を約2週間後に控えたタイミングで解除されたが、担った役割が強くさせた。「(選手も)結果が出ていない人間から言われるより、出ている人間から言われた方が説得力がある。だから頑張らないといけない」。あくまで選手。だが、ドラゴンズの未来をも見据えた活躍をするという重責も背負った20年目となる。

 誰よりもマウンドに立ち、何度も修羅場をくぐり抜けてきた男は最後にどんな景色を見るのだろう。それは岩瀬が言うようにきれいではないのかもしれない。それでもとても誇らしい、尊い時間なんだと思う。(デイリースポーツ・松井美里)

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