【スポーツ】異例のフリー転向 柔道・原沢久喜が全日本“33分間”で見せた執念
4月29日に日本武道館で行われた、体重無差別で柔道日本一を決める全日本選手権。決勝はリオデジャネイロ五輪男子100キロ超級銀メダリストの原沢久喜(25)と王子谷剛志(25)=旭化成=のライバル対決となり、互いにがっぷり四つで組み合い、大外刈りを掛け合う力勝負となった。
「作戦も考えていたが、それを出す余裕もなかった。立っているのもキツかったが、執念だけで戦った」(原沢)。互いに意地でも倒れなかったが、延長戦に入っても攻める姿勢を崩さない原沢に対し、試合時間9分を超えたところで王子谷が力尽きた。技によるポイントこそ入らなかったが、意地と意地のぶつかり合いは頂上決戦にふさわしい名勝負となった。
「あまり記憶もない」というほどの死闘を執念で戦い抜いた原沢は、3年ぶり2度目の頂点に立った。普段は感情を表に出すタイプではないが、この瞬間男泣きする姿を見せた。日本男子の井上康生監督も「昨年苦しんでいた原沢が非常に苦しい戦いを見事に勝ち切った。一皮むけた彼を見ることができた」と称賛。失礼なのは承知だが、寡黙で真面目でポーカーフェースという印象が強かった原沢から初めてアスリートとしての“色気”を感じた気がした。
この日も調子は決して良くなかった。リオ五輪前の技のキレが戻っていないため、試合時間は自然と長くなる。初戦から決勝までの5試合のうち4試合は延長戦までもつれ込み、戦った時間は計33分22秒-。極限状態。それでも原沢の目は一度として死ななかった。
鬼のような執念の源泉はどこにあったのか。1つは、リオ五輪後は低迷していただけに、今回優勝しなければ今夏の世界選手権(バクー)代表を逃し、東京五輪に向けて大きく出遅れてしまうという切迫感だ。
昨年は大スランプを経験した。全日本選手権では「人生初」という試合で絞め落とされての敗戦。夏の世界選手権では初戦で格下相手に力なく敗れた。その後、体調不良に陥り「オーバートレーニング症候群」と診断され、休養を余儀なくされた。元来稽古熱心で真面目な男は年齢的な転換期も迎え、ただ真面目なだけでは結果を出せない現実にも直面した。
本格的な練習再開は今年に入ってから。休養などの生活面から自身の柔道を見つめ直した。小川雄勢(21)=明大=や影浦心(22)=日本中央競馬会=ら若手の台頭も著しい中で、再び返り咲いた日本一に「3年前は追う立場で何も怖いものがなく勝ち取った優勝だった。今回はいろいろ経験して、若手も出てくるし、王子谷選手も3連覇が懸かっていた。いろんな要素があった中での優勝なので意味が大きいのかなと思う」と胸の内を明かした。
さらにもう1つ大きかったのは、この大会を最後に15年4月から在籍していた日本中央競馬会を退社することを決めていたことだった。
「自分が柔道とどう向き合うか考えたときに、東京五輪まであと2年、退路を断って柔道に向き合いたいという思いがあった」
そもそも3年前、日大から日本中央競馬会に進んだ理由は、実業団の強豪で柔道に打ち込むためだけではなかったという。
「柔道を辞めてからの方が(人生は)長いと思って、辞めた後もサポートが手厚くていい会社だと思って選んだ。でもリオ五輪も経験して、高い意識の中で競技を続ける内に、逆に柔道を辞めても安定した生活があるのが、自分の中でどこか逃げ道になっていた」
数いる重量級選手の“ワン・オブ・ゼム”ではなく、日本代表として決勝で絶対王者テディ・リネール(フランス)と頂上を争ったリオ五輪を契機に、人生観も変わり始めた。昨年から抱き始めた思いは次第に大きくなり、秋に退社の意向を会社に伝えたという。
エースとして復活をアピールし、会社員としても有終の美を飾った。今後はフリーとして活動し、当面は貯金を切り崩して生活しながらサポート企業を募ることになる。柔道界では前例のない異例の挑戦になるが、安定を捨てていばらの道を選んだ原沢は柔道家として何を得るのか。
もちろん所属を捨てることが正解だとは限らない。ただ、東京五輪で絶対王者リネールを倒すには地力はもちろん、投げるか投げられるかというリスクを負わなければいけないだろう。文字通り“人生”を懸けるほどの執念が必要になる。少なくとも今年の全日本選手権での気迫を見ていて、原沢にはその資質があると感じた。(デイリースポーツ・藤川資野)