【野球】ソフトバンク内川 2000安打達成の裏にある苦難

 才能は磨き続け、苦難を乗り越えた先にこそ輝きを放つ。ソフトバンク・内川聖一の通算2000安打達成に、その思いが浮かんだ。初めて横浜(現DeNA)担当として取材したのは、内川が5年目の2005年。大きな可能性を期待されながら、故障などでレギュラーをつかめずにいた、そんな時だ。

 当時の内川は代打出場、そしてチャンスを広げるために外野にも挑戦。だが04年に17本塁打を記録したが、その打撃も思うように成績を伸ばせずにいた。

 「ダメですね…。自分の打撃が分からなくなりました」。元来がまじめな男。いつもは明るい表情をふるまいながら、その陰で打撃や守備の悩みを吐露し、気づけば球場の駐車場で1時間ほど語り続けた時もあった。今でも忘れられない姿だ。

 それでも、全体練習が終わった後も1人グラウンドに残り、黙々とバットを振り続ける。その背中を何度となく目にした。その努力は、08年の首位打者獲得(打率・378)として結実したのだ。

 次に彼を取材する機会を得たのは09年のWBC。決勝・韓国戦の同点の五回1死、高永民が左翼線へ安打を放ったが、左翼・内川がショートバウンドの打球を逆シングルでスライディングキャッチ。すぐさま二塁へ送球して高永民を刺し、韓国の勢いを止めた。

 世界一につながるプレーを「僕自身が一番ビックリ。でき過ぎかなと思う」。そう笑う内川に、当時の思い悩む姿はなかった。一方で、野球へ貪欲に臨む姿勢は変わらない。

 「(首位打者は)確かに達成感はありました。年数を掛けて初めて規定打席に達し、初めてレギュラーになってのタイトル。それが世界を見て、一時の成績に満足してはいけないと思えた。首位打者も過去のものになりました」。後に、そう語ってくれた。その後の活躍は周知の通りだ。

 みたび、彼と同じ現場に立ったのは昨年のWBC。大会後、09年の決勝・韓国戦の守備について思い出話に花が咲いた。「まぐれですよ。無我夢中で打球を追ったらグラブに入って、二塁に送球したらアウトになったんです」。当時と変わらぬ笑顔で、そう話した。

 例えば、それが彼の言う通りだとして、それでもあのスーパープレーを呼び込んだのは内川の不断の努力に他ならない。それをこの世界では「実力」と呼ぶのだ。内川を「天才」という陳腐な言葉で表現するのは失礼にあたるのかもしれない。

 ソフトバンクでは主将を務め、大記録達成と、今や日本を代表する打者になった。ただ、その中でも「ウチの若手は本当にスゴイ選手が多いんですよ。彼らと野球をやっているのは楽しいですね」と目を輝かせている。泥臭く、己を磨き続けるからこそ、彼の笑顔は輝きを失わない。そう思えた。(デイリースポーツ・05~06年横浜担当、09・17年WBC担当・中田康博)

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