【スポーツ】怪力の新大関 栃ノ心の意外な素顔…料理好き、6本のマイ包丁も
大相撲夏場所(5月27日千秋楽、両国国技館)で13勝を挙げた栃ノ心(30)=春日野=が5月30日、昇進伝達式を経て晴れて新大関となった。愛称は「ジョージアのニコラス・ケイジ」。“気は優しくて力持ち”を地で行くお相撲さんだ。
13年に右膝前十字靱帯(じんたい)断裂、右膝内側側副(そくふく)靱帯断裂の大けが。幕下まで陥落しながら復活。新入幕から所要60場所での大関昇進は史上最も遅い記録だ。苦心を重ねた分だけ、栃ノ心は人間的にも大きくなった。
春日野部屋付きの岩友親方(元幕内木村山)は栃ノ心を入門時から知っており、十両昇進が同時。「(新十両で)初めて給料をもらった時、2人で部屋で大喜びしたのを覚えている」と懐かしむ。
親方になった今も稽古場でまわしを締め、栃ノ心に胸を出している。公私で良き兄貴分は「ケガをして、いろんな人に支えてもらったのが分かったんじゃないかな」と察する。
退院後は何カ月も四股、すり足など基礎運動のみで相撲すら取らせてもらえぬ日々。岩友親方は「レヴァニ(栃ノ心の本名)は気持ちの弱いところがある。『ダメだ、どうしよう』って。しょっちゅう『やめようかな』って言っていた。師匠に怒られてすぐ泣くんだよ」と明かす。
どん底の日々を師匠春日野親方(元関脇栃乃和歌)、女将(おかみ)さん、部屋の力士の励ましがあり、乗り越えられた。
相撲を取る稽古を再開してからは、目の色が変わった。番付も急上昇。20代半ばまでやんちゃなところがあった栃ノ心は大人になっていた。若い衆に積極的に声をかけ、部屋を引っ張る存在になった。「落ちて見えるものがある。付け人にも思いやる姿になった。ケガがあったから今がある」と岩友親方。初場所で初優勝した後、栃ノ心は部屋の全員を連れて焼き肉をふるまい、ねぎらったという。
場所中の朝稽古後、栃ノ心は必ず15分は記者の囲みに応じ、相撲以外の話も嫌な顔一つせず答えた。来日前、柔道ではジョージアのジュニア代表選手。2000年シドニー五輪100キロ級金メダリストの井上康生にあこがれ、「あの内股はすごいな」と目を少年のように輝かせていた。
特に食べ物の話は大好き。食事のメニューは連日、豪快だった。「うにいくら丼、握り寿司2人前、夜にまだおなかすいたから自分で納豆オムレツつくって食べた」と笑う。
12日目には横綱白鵬を初撃破したが、その前夜はうなぎを食べていた。「ひつまぶし2人前、海鮮丼、あとはピザ。はちみつ塗って」。底なしの食欲がパワーの源であることを痛感させられた。
カスピ海ヨーグルト、母国から送られたハチミツを毎日、食べるのが健康法。料理するのも大好きで6本のマイ包丁があり、ジョージア料理もお手の物。
場所中、お酒は飲まないが、ジョージアの実家はワインを作っている。「2トン作って1年持たないんだ」と一家で酒豪ぞろいのよう。祖父がアルコール度数70度の酒を作って飲んでいた話も楽しそうに話し続けた。
右四つに組み、剛力の左上手は無敵。体重200キロを吊(つ)り上げて観客を沸かせるなど栃ノ心にしかできぬ芸当だ。
しこ名に入る「心」は日本の心を持つことを願ってのもの。日本を愛し、ジョージアを愛し、誰からも愛される「怪力大関」が誕生した。(デイリースポーツ・荒木司)