【競馬】分岐点を境に人生が一変!“厩務員一筋”だった森田直行師が調教師道一直線

 物事には色んな分岐点が存在し、その時の選択が今後を大きく左右する。

 アイビスサマーダッシュを制したダイメイプリンセス(牝5歳、栗東・森田直行厩舎)。それまでは1200メートルで3勝を挙げる6F専科だった。4月の船橋Sで6着に敗れると、その3週後には登録した彦根Sを除外された。準オープンの芝1200メートル(水無月S)はさらに2カ月後。近いレースは1000メートルか1400メートルだ。調教師がジョッキーに意見を求めると、秋山Jは迷わず「1000メートルがいい」と回答した。そんな進言通りに使った駿風Sを快勝すると、続く韋駄天Sで連勝。千直3戦3勝でG3を獲った。

 レースを除外されたことが人生ならぬ、馬生を大きく変えたといっていい。彦根Sに使えていれば、まだ準オープンを勝てずにいたかもしれない。

 管理する森田直行調教師(56)=栗東=も、ある分岐点を境に人生が大きく変わった。調教師試験に合格したのは13年。51歳だった。厩務員から調教助手を経て、調教師に合格するケースはある。ただ、厩務員から直接調教師試験に合格した例は過去になく、森田師が初。そして、そのあとも例がない。

 調教師になることなど夢にも思っていなかったという。何がきっかけだったのか。「全国競馬労働組合から独立した『21世紀』という組合があって、組合長の西谷さんが組合員全員に“調教師試験を受けてみろ。これからは助手からもバンバン受かる時代が来る”ってハッパをかけたんです。当時の合格者は元騎手か調教師の子供ばかり。厩務員からは無理でしょうって言ったら、“分からんぞ”って」。ただ、実行したのは森田厩務員だけだった。「40~50人ぐらいいたけど、みんな勉強が続かなくてね…。受けたのは自分一人だけだった」と笑う。

 とにかく狭き門である。1次試験の学力および技術に関する筆記試験でふるいにかけられ、2次の面接突破も難解だ。「最初の3年ほどは適当にやっていた。でも、時間の無駄だし、本腰を入れて勉強したら5回目に1次試験を受かってね。当時の公正室長に“厩務員から受かりますかねぇ”って相談したら“関係ないから頑張れ”って。それでやる気が出た」と当時を振り返る。

 厩務員一筋だった男が一心不乱に机へと向かった。「仕事中も勉強したメモをポケットに入れていた。うるさい馬だとできないけど、おとなしい馬を厩舎回りの運動で引っ張っている時はメモや、競馬法規を保存した携帯を読んでいた。風呂と食事以外は勉強していた」。最低でも1日10時間。休日は1日20時間も勉強に費やしたという。

 森田厩務員が50歳の時、最愛の妻をガンで亡くしている。「東日本大震災があった年の5月。亡くなったとき、もう試験を受けるのはやめようと思った。でも、嫁さんがずっと後押ししてくれていたことを思うとね。勉強をした方が気持ちが紛れて悲しさを忘れられたし…」。公正室長の励ましや、奥様の思いに背中を押され、11回目のチャレンジで桜が咲いた。

 厩舎を開業して5年目を迎える。5人の調教師のもとで仕事をしたことが基礎となっている。長浜彦三郎厩舎から長浜博之厩舎。そして、最も長かった福島信晴厩舎の厩務員生活は18年を数えた。「福島先生は全部任してくれたからね。いかにして自分で治すか。馬に役に立つことはないかと栄養学、獣医学を勉強して。ケガや病気は色んな症状に出会えた」。生きた教材に触れて多くのことを学んだ。

 07年には松田博資厩舎へ移籍した。活躍馬をそろえる名伯楽から受け継いだことも多い。今の調教スタイルは松田博流といってもいい。「松田先生は調教がハード。でも、そのぶん故障が多くなる。だから開業して3年ほどはどうするか迷った。ただ、他の厩舎の良血馬と同じ調教では太刀打ちできないことが分かってね。だから、松田先生みたいにハードにやることにした。故障するリスク、オーバーワークになる危険性もある。だから、栗東では朝一番に全馬の脚元や歩様をチェックして、運動に出る前も歩様を見て送り出す。松田先生もそうだったから。従業員が気づかないところを自分の目で確かめようと思ってね」。ノートを片手に、馬に触れ、その変化に目を配る。確認作業が日課だ。

 開業初年度の14年4勝、15年8勝、16年8勝、17年22勝、18年(8月5日現在)16勝。迷走した3年間を経て、調教方法に変化を加えた17年以降、勝ち鞍が大幅に増えていることがわかる。

 調教師合格後、開業までの1年間は技術調教師として矢作芳人調教師に師事した。「学んだのは人との付き合い方。自分が一番知らないことだったから。馬主さんとどう付き合うか。営業のノウハウを教わった」。多くのオーナーと関わりを持ち、人脈ができた。「オーナー、牧場に喜んでもらうのが一番」と優しいまなざしを見せる。

 厩舎理念は『馬を壊さず鍛える』。未然に故障を防止することがモットーだ。今年、骨折した馬も1頭だけ。それもレース中で軽度の骨折だった。日々のチェックが生きているのだろう。

 厩務員から調教師へ-。自分に続く関係者が出ることを願っているが、かなっていない。「森田が受かるなら受けようって知り合いも勉強したけど、ひと月も立たないうちに勉強をやめてしまった」。なぜ、大きく立ちはだかる壁を乗り越えられたのか。自己分析してもらった。「自分は精神的に強いんです。そして、人に恵まれている。公正室長の二人と関わりがなかったら挫折していたし。色んな人に感謝している」。座右の銘は『為せば成る』だ。諦めない精神、愛される人柄、そして行動力。為さねば成らぬ何事も…だ。

 今や厩舎の筆頭格となったダイメイプリンセス。初勝利は7戦目だったが、デビューから9、11、13、14、10着と掲示板にも載ることができなかった。「惨敗が5戦続いたときに、馬主さんが“抹消しよう”って。でも、調教も動くのでもう少し待ってくださいってお願いしたんだ。それが重賞を勝つんだからおもしろいよね。オーナーも“抹消しなくてよかった”って言ってくれた」。目尻を下げる姿からは、元厩務員らしい馬への愛情、そして多くの人への感謝があふれている。(デイリースポーツ・井上達也)

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