【スポーツ】「突破口はすべてプロレス」清野アナ、退路を断って上京

 日本最大手の新日本プロレス、世界最大手のWWE、世界最高峰の総合格闘技UFCと、史上初めてプロレス格闘技メジャー3団体の実況を達成したフリーの清野茂樹アナウンサー。広島FMでキャリアをスタートし、プロレス実況で身を立てるべく上京したが、最初は簡単にはいかなかった。同アナのインタビューその2(全3回)。

 -東京に来たときの状況はどうだったんですか。

 「まったくプロレスがブームじゃなかった。ちょうど低迷期。いまだに忘れられないのは2006年の1月、こっちに来ましたと、新日本プロレスにあいさつしに行ったんですよ。後楽園ホールに。ガラガラで全然お客が入っていなかった。選手の大量離脱から1発目の大会だったんで選手も少ない、お客様も少ない。ヤバいな、とんでもない世界に来ちゃったなと」

 -数年前とはすっかり変わった世界に来てしまった。

 「でも引き返せないじゃないですか。退路を断って来たので、やるしかないなと」

 -すんなりプロレスの実況はできたんですか。

 「それが、なんの当てもなく来たので無職だったんですよ。ハローワークに通う日々。でも、とりあえずプロレスの実況をするために来たんだから、プロレスの試合をいっぱい見ないとまずいだろう、ということでプロレスの試合にはよく見に行っていた。プロレスに限らず、格闘技とか手当たり次第に。すると、その年の3月に新日本の両国大会があったんですが、そこでたまたまサムライTV(スカパー・ブロードキャスティングが運営するプロレス、格闘技の専門チャンネル)のプロデューサーとばったり会って。広島時代に一緒に仕事をして面識があったんですよ。『絶賛仕事募集中なんですよ。何かないですか』って聞いたら、『じゃあ、ウチで実況やる?』と言ってくれて、『マジですか。いつからですか』『来週から』って。急な話ですけど、ラッキーでした」

 -そのラッキーもプロレス会場に顔を出していたから引き寄せた

 「突破口はすべてプロレスですね(笑)」

 -プロレス実況の手法は他でも役に立ちますか。

 「それは思いますね。プロレスの実況は臨機応変が求められる。型はもちろんありますけど、結構アドリブが求められる。それはプロレスラーも一緒で、プロレス自体の型はあるけど、やっぱりアドリブじゃないですか。それがうまい人が上に行く。野球とかサッカーのアナウンサーと時々一緒になりますけど、どっちがいい悪いかじゃなくて、違うなと感じましたね。競技に似るというか」

 -サッカーならサッカーのリズム、野球なら野球のリズムになる。

 「そうなるんですよ。もちろんそればかりやってる訳じゃないですよ。サッカーも野球もバスケもスキーもいろいろやる人がいますけど、やっぱり純粋に勝ち負けを競う競技とエンターテイメント性の高い競技をやっている人は全然違う。こっちは、スキあらば何か面白いこと言ってやろうとか、視聴者を何とか楽しませられないかと常に考えて言うんですよ。必要のない場でも。純粋な競技のアナウンサーは本当に競技のことをしゃべる。こっちは人をクローズアップしたり、ゲームに関係ない話題を解説者と展開したり、そこはプロレスっぽいなと思いますね。何が言いたいかというと、それぞれスタイルがあるのはいいんですが、うまくいかないアクシデントとかあった場合、圧倒的にこっちの方が強い。それはプロレスで鍛えられましたね」(構成 デイリースポーツ・洪経人)

 ◆清野茂樹(きよの・しげき) 1973年8月6日、兵庫県神戸市出身。フリーアナウンサー。青学大卒業後の96年に広島エフエム放送入社。05年に退社してフリーとなり、新日本プロレス、WWE、UFCの3大メジャー団体の実況を史上初めて達成した。ラジオ番組「真夜中のハーリー&レイス」(ラジオ日本)のパーソナリティーを務め、「もえプロ♡女子のための“萌える”プロレスガイドブック」(PARCO出版)、「1000のプロレスレコードを持つ男」(立東舎)などの著書もある。

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