【野球】輝星からも刺激!元金足農マネジャーが国際公式記録員で奮闘
U18アジア選手権で力投した侍ジャパン高校代表として金足農・吉田輝星投手(3年)らが力投を見せた中、同じ舞台で陰から運営を支えた同校のOGがいる。菅原有紀子(あきこ)さんは高校時代に野球部マネジャーを務めた経験を持ち、同大会で国際公式記録員としてデビューした。一度は一般企業に就職しながら、野球へ携わりたいという一心でスコアラーに転身した経歴の持ち主だ。
7日の2次L・日本-台湾。侍ジャパン高校代表にとって決勝進出を逃す痛い敗戦を喫した一戦。菅原さんにとっても、今大会で初めて日本戦を担当した試合だった。日本国民として応援する気持ちは当然あったが、「任されたら、ちゃんとやる」と公式記録員としての役割を全うした。
小学生の頃から野球を愛していた。「甲子園に行きたくて金足農に入りました」と野球部のマネジャーになり、在学中にチームは98年夏と99年春の2度聖地を踏んだ。卒業後にはいったん一般企業に就職したが、大好きな野球へ関わりたいという思いは断ち切れず。スポーツトレーナーになるため辞職し、専門学校へ通い資格を取得すると、整形外科で働いた後、2008年から3年間トレーナーとして母校を支えた。
さらなる転機が訪れたのは14年のことだった。11年に東日本大震災を経験し、「いろんなところを回ってみたい」と13年6月から世界各地を回り始めた。キューバなど盛んな国ではやはり気になり、野球を観戦。バックパッカーとして旅を進めるうちに、アフリカでも野球が親しまれていることを知った。
特に興味がわいたのは14年に訪れたタンザニアだった。「日本人の指導者がいるって聞いたので」とコンタクトを取ると、ちょうど高校世代の「タンザニア甲子園」が初開催されるとの情報を入手。日本人の主催者から試合の記録を頼まれ、請け負うことになった。
不思議な縁はつながっていく。同年冬にケニアで行われたU-18W杯のアフリカ予選では、スコアラーとしてタンザニア代表に帯同した。前出のタンザニア甲子園では3大会連続でスコアをつけた。この国際経験を通じた出会いから、帰国後に国際公式記録員の話が舞い込み、目指すきっかけとなった。
U18アジア選手権での“デビュー戦”へ向け、今年3月には香港で10日間ほど研修を受けた。競技のルール自体は同じでも、「ちょっと書き方が変わってくる」とスコアの記入方法は日本と違いがある。例えば左翼線に飛んだ打球は国際公式記録ではLL(レフトライン)など。記号の違いを座学や実際の試合でスコアをつけてたたき込んだ。
自身の新たな挑戦の年に母校も大躍進を果たした。“カナノウ旋風”を巻き起こし、甲子園で準優勝。この夏は3度アルプスまで足を運び「本当に素直にうれしいですよね、母校の活躍は」と喜びは絶えない。
躍進を支えたエースの吉田とは、1日の侍ジャパン高校代表の練習の際に初めて会話した。頼もしい後輩の勇姿に、「こうやって選ばれただけでもありがたいですよね。同じタイミングで」と縁にしみじみ。“デビュー大会”は5試合を担当し終了したが、今後も後輩に負けじと陰から野球を支えていく。(デイリースポーツ・佐藤敬久)