【野球】中日・岩瀬仁紀、最後のマウンドへ「よくやったよって言ってくれよ」
いくつもの夜を越えた。背中で語ってきた20年間。中日・岩瀬仁紀投手が今日、輝きを放った場所に別れを告げる。左肘の痛みと闘った日々。もう一度、もう一度だけ-自らが立ち続けたマウンドを目指した。決別の日。最後の最後まで声援を送るファンを、仲間を、想っていた。
「投げて、結果を出して、これまで『岩瀬』っていうものを背負ってきた。みんな抑えてくれると思って見てくれるのが岩瀬であって、出てきて、“あーあ”ってショックを受けさせるのは嫌だからね」
9月28日。前人未到の1000試合登板を達成。その翌日、チームメート全員が同じTシャツに腕を通した。背中には「鉄腕 HITOKI 1000」。仲間の姿を見つめ、うれしそうに、少しだけ恥ずかしそうにほほ笑んでいた。
あれから4日後。10月2日のことだった。岩瀬は再び報道陣の前に立ち、今度はプロ野球選手最後の節目として言葉をつづった。プロ20年に終止符を打つ。引退の決め手は、そろわなくなった一つのピースだった。なくしたのは「心・技・体」の「心」の部分。
「心技体ってあるだろう?。その心をやられたらダメなんだよ。心さえ強ければ体が悪くてもできる。もう心が折れてしまった。打たれても、怒っているうちはいい。それを受け入れるようになってしまったら、もう本当にダメなんだっていうサインだからね」
歓喜は、寂しさの始まりでもあった。岩瀬が涙した夜、それは同時に自らの去り際を悟った夜となる。1000試合登板達成への最後のアウトをとると、その表情もゆがんだ。「まさかここまでこられるとは思わなかったですけど…長い、長い道のりでした」。お立ち台では言葉に詰まった。目は赤く染まり、大歓声が震える声をかき消す。そして腹をくくったという。
かねて報道されていた現役引退。客席からあふれたのは、いつもと違う歓声だった。「1000試合達成したら“おめでとう”じゃん?。でもみんな“ありがとう”って言ってた。“今までありがとう”と言われて、自分自身も改めて引退を実感できたんだと思う」。
プロ1年目から15年連続で50試合以上に登板し、最優秀中継ぎ投手を3度&セーブ王には5度輝いた。プロ野球史上最多の1001試合に登板し、挙げたセーブは最多の407個。この先、誰も成し遂げられない数々の金字塔を打ち立ててきた。左肘の痛み、投げられないもどかしさ、そして一度は決断した引き際。幾多の壁を乗り越えてきたが、岩瀬は首を横に振り続けた。
「昔の岩瀬ではもうない。打たれる姿なんて見たくないし、それに慣れることなんてもっと嫌だし」
『過去の自分』という大きな壁を最後まで越えられることができず、決断に至った。晴れ晴れとした顔で笑う。「よくやったよって言ってくれよ」。悔いはない-。そんな簡単な言葉ではないような気がする。プロ20年間で積み上げた奇跡。さぁ、マウンドへとゆっくりと向かおう。一歩、一歩。最後の最後まで「岩瀬仁紀」を背負い込んで-。(デイリースポーツ・松井美里)