【芸能】内田裕也 孫のUTAをどうプロデュース?ロックフェス開催の能力に期待
ロック歌手・内田裕也(78)が先日行われたイベントに出席した際、ちょっとした“孫自慢”をしていた。娘の内田也哉子(42)と本木雅弘(52)の間に生まれた長男でモデルのUTA(雅樂=うた、21)のことで、米サンフランシスコのバスケット強豪校に進学した孫を米国で「花形プレーヤーになる環境は整っている」と期待したうえ、「日本でも英語ができて、ルックスも良くて、必ずや今までにないスターになってくれると確信しております。ヨロシク」と“じじバカ”ぶりを発揮していた。
古くから内田のプロデュース能力を知る者としては、その力をぜひ孫に生かしてほしいと思う。妻・樹木希林さんが亡くなり、最近は樹木さんの“夫”としての姿がクローズアップされているが、日本のロック界に貢献してきた“ユーヤさん”の力は、まさに“レジェンド”と呼ばれるにふさわしいものだ。
自身がロックシンガーであり、プロデューサーであり、俳優であり…ロックフェスの開催もやり、都知事選には出るわ、大麻で捕まるわ。まあ、内田は派手な一面がいつも話題となってきたが、若かりし頃、特に日本のロック黎明(れいめい)期ともいうべき、1960年代後半から70年代前半にかけての“仕事”は特筆すべきものだと思っている。
内田は日本のロックに一つの方向性を与えた1人だ。頭の中にあったのは、バンドとして海外で勝負できること。その前提として英語の歌詞があったと思う。自身がプロデュース役に回った「フラワー・トラベリン・バンド」の音を聴いていると、そこには内田が求めていた“日本のロック”が見事に集約されている。
「フラワー-」は1970年にデビュー。大阪万博で知り合ったカナダのバンド「ライトハウス」の誘いでカナダに渡り、71年に米加でアルバム「SATORI」をリリースする。ボーカルは2011年に亡くなったジョー山中さん。日本を意識した旋律をジョーさんが英語でシャウト。それにギター・石間秀樹の粘り着くようなリフが交じるという得も言えぬ音。サイケ…いやユーヤか?すごいアルバムだった。
この1枚が内田が求めた“日本のロック”なのだと思っている。ジョーさんの歌う生の「SATORI」は、亡くなる前の06年の還暦ライブで聴くことができた。ジョーさんの衰えぬボーカルを聴きながら、「あの時代によくこんなの作れたもんだな」としみじみ思った。ユーヤさんに時代性、先を読める目があったからだと思う。「フラワー-」は米加でライブ活動も数多く行い、海外で活躍する日本のロックバンドの先駆けともなっている。
内田は73年の「フラワー-」解散後、米国の伝説のロックフェス「ウッドストック」の日本版の実現にも尽力している。74年の「ワンステップ・ロックフェスティバル」、75年の「ワールド・ロックフェスティバル」をプロデュースし、日本でのロックフェスを次々と成功させた。今では夏の定番となっている各地のロックフェスも、その先駆けは内田なのである。
UTAの将来はさてどうなるか。何はともあれ、その横には若き頃から世界を舞台に活躍してきた、プロデュース名人の“ロックンローラー”が控えている。(デイリースポーツ・木村浩治)