【スポーツ】存続危機救った高橋大輔、再起とともに古巣も復活
4年ぶりに現役復帰した2010年バンクーバー五輪銅メダリストの高橋大輔(32)=関大KFSC=が14日、大阪府高石市の大阪府立臨海スポーツセンターのアイスリンクで、同施設の改修工事完成記念イベントに出演した。ゲストスケーターやリンク所属の子どもたちと一緒に滑走する笑顔は喜びにあふれていた。
高橋は一時期“臨スポ”と呼ばれるこの施設を練習拠点としていた。大学入学後に「高槻のリンクが閉鎖になって、困っているところをここで滑らせてもらった」と、日本のエースを目指していた若き日にピンチを救ってくれた場所だった。
しかし、08年に府の財政再建案に同施設の廃止が盛り込まれた。直後から高橋らこのリンクで育った選手らは存続のための活動に参加。利用料金の値上げなどで一度は存続が決定したが、12年に耐震や老朽化の問題で存続の危機に再び陥った。工事には約3億円が必要とされ、その半分の1億5000万円を募金で集めれば、残り半分は大阪府が拠出することとなった。
この日、「臨海スポーツセンター支援の会」の高林永統氏が「何度も窮地に陥ったところで助けてくれたのが高橋大輔選手だった」と振り返ったように、高橋らは再び募金活動やチャリティーイベントに協力。その努力に呼応するように、1億3000万円という巨額の寄付が加わった。高林氏は「奇跡的な募金だった」と言う。13年には高橋らの手で大阪府の松井知事に目標額の1億5000万円が手渡された。「正直、集められると思っていなかったけど、やってダメなら仕方ない。やらずに終わってしまうのは、と思ってスタートした。少しでも自分の名前を使ってもらえたらと思った」と高橋は振り返った。
改修工事が始まったのは4年前の14年10月。その年の同じ月に高橋は現役引退を表明した。そして、改修工事がすべて終わった今年、高橋は4年ぶりに再起した。生まれ変わった古巣のリンクに現役として立ったのは、どこか運命的だ。
高橋が初めて五輪に出場したのは06年トリノ五輪。そこで荒川静香さんが日本初の金メダルを獲得し、現在のフィギュア人気へとつながった。しかし、高額の維持費がかかるリンクの存続問題は、今も多くが抱えている。そして、それぞれのリンクには、スケートを愛する子どもたちがいる。
高橋が幼少期に通った倉敷市内のリンクも何度も閉鎖の危機に陥りながら残ってきた。「今も国内のリンクは多いとは言えない。一度なくなると、新たに作るのは難しい。なくなる前に防げてよかった」。高橋だけでなく多くのトップスケーターが多忙な現役時代から存続活動に力を注いでいるのは、この競技の特徴だ。「他にもそういうところがあるので頑張ってほしい。ひとつの形に残せてよかった」。環境は当たり前のように整えられるものではない。それを知るからこそ、彼らは一流アスリートであり続けるのだろう。(デイリースポーツ・船曳陽子)