【競馬】受け継がれる“血脈”ダービージョッキー・角田晃一の背中を追う二人の息子
将来、どんな職業に就きたいか-。学生にとってはその選択が大きな岐路。15歳の息子を持つ私も考えさせられることが多い。
10月26日、JRAは来年4月に入学する競馬学校騎手課程第38期生の合格者9人を発表した。受験者数は110人で倍率は約12倍。その難関を突破したひとり、角田大河君(15)。“角田”と聞いてピンと来る人もいるだろう。角田晃一調教師の次男である。
ジョッキー時代には、91年桜花賞をシスタートウショウでG1初制覇。ジャングルポケットの01年ダービー制覇や、ノースフライト、フジキセキ、ヒシミラクルとのコンビも記憶に新しい。騎手引退後は、11年から厩舎を開業し、調教師として活躍している。
長男の大和君(17)も36期生として競馬学校に入学している。自ら身を置いた世界に、息子が続く。親としてどんな心境なのだろうか。乗馬クラブで馬に乗り始めたのは大和君が小学4年生、大河君が小学1年生の時だった。「厩舎に連れて行ったことはあったけどね。トレセンにいる他の家庭と比べても頻繁ではなかった」と角田師だ。
親に憧れたのだろうか。2人は自然とジョッキーを志すようになった。「こちらから“ジョッキーになれ”と言ったことはない。でも、影響を受けたのかなぁ。“怖がるならやめた方がいい”って言ったけど、怖がらなかった。“中途半端ならやるな”とか、結構きつく言ったけどね。大けがをするのは自分。当然、周りにも迷惑がかかる。甘い考えならやめた方がいい」。厳しい世界だ。調教師になった今でもそれを痛感するから、自然と言葉が厳しくなる。
時代も変わった。年々、ジョッキーを取り巻く環境は厳しくなっている。「グローバル化している。子供がジョッキーになるのを両手を挙げて賛成という時代ではない」と同師。かつては、ジョッキーと馬の結びつきに、師弟関係は欠かせなかった。フジキセキやジャングルポケットは所属した渡辺栄調教師の管理馬。師弟によるG1制覇が競馬を盛り上げた。「調教師が頭を下げてくれて、オーナーの理解を得てくれた。今は勝っても下ろされる時代だからね」。外国人ジョッキーの活躍も一因だが、若手が育たないのが実情だ。
調教師として、親として。思いは複雑だ。「精神力が問われる。取った、取られたと言うのは違う。オーナーに乗って欲しいと思われるジョッキーにならないと。人間性だよね。かわいがってもらえるように、信頼されるように。子どもからすると、ジョッキーは花形かもしれない。でも、ボクからすると、うまくいってくれたらいいな、って感じかな。やるなら応援する。でも、裏切るようなことはするな、と。ただ、なんとなくが一番続かない」。応援したいのは親心。でも、競争社会で勝ち残るのは簡単ではない。
「厳しい父親」。自らをこう言う。競馬学校は全寮制のため、親の教育は入学する15歳まで。「技術は教えたことがない。それは学校に任せればいい。今は外に出ると、コンプライアンスもあって厳しく教育されないからね。15歳で親から離れる。だから、礼儀作法、生活態度は厳しく教育してきた。年上とは目を見てしゃべるように、とか。まあ、親の気持ちが分かるのは親になってからでしょうけどね…」と苦笑いする。
角田師の父はもともと船舶関係の仕事に就いていた。少年時代は、家によく外国人が訪れていたという。ところが祖父が亡くなり、祖父の仕事を父が継ぐことになった。「中学校1、2年の頃だったかな。父から将来は何になりたいんだ?と聞かれて、ピンとこなかった。体を動かすことが好きで動物が好き。そしたら、父が知り合いに頼んで競馬学校の願書を取り寄せたんだ」。興味はあったが、生まれ育った鳥取県は馬とは無縁の土地。しかも、角田家の長男でもある。やりたいことを職にする。それが受け入れられるような時代ではなかった。
早速、家族会議が行われた。「親戚一同から反対されたなぁ。馬とのつながりは遊びで農耕馬に乗ったことがあるぐらい。でも、父は夢を途中で断念したでしょ。だから、“好きなことをやらせたい”って。先見の明があったんだと思う。自分は素朴な思いで(競馬学校に)入ったから、何でも吸収できた」。可能性を見抜き、行く道を照らしてくれた父に感謝をする。
ふと思うことがあるという。「好きなことを一生、仕事にできるのは幸せなこと」。父から息子へ。さらに二人の息子たちへ。子供を思う親の気持ちは受け継がれている。(デイリースポーツ・井上達也)