【スポーツ】名門グリーンツダジムを守る使命 “応援団”から遺志継ぎ会長に
3人の世界王者を輩出したボクシング界の名門、グリーンツダジムの初代会長、津田博明氏の十三回忌法要が2日、大阪市内の同ジムで行われた。同ジム初の世界王者、井岡弘樹氏や同ジム出身の石田順裕氏、徳山昌守氏らゆかりの元チャンプが集結。津田氏の妻、セツ子さんら遺族も参列した。
感慨深い面持ちで「3年前から(ジムでの十三回忌法要を)考えていた。一つの節目になった」と語ったのは、4代目会長として同ジムを率いる本石昌也会長(42)だ。「僕の中では世界王者まであと2年。先代から『本石、やりよったな』と言ってもらいたい」。井岡氏、山口圭司氏、高山勝成(アマ転向)に次ぐ同ジムから4人目の世界王者誕生へ、不退転の決意を口にした。
3人の世界王者を輩出し、大阪帝拳とともに関西の雄だった同ジムだが、初代会長が脳梗塞で倒れた1998年以降は苦難の道を歩んできた。07年に津田氏は亡くなり、9年前には経営が破綻。ジムは移転を余儀なくされた。マネジャーとしてジムの再建を目指してきた本石会長は、誰もが存続をあきらめる中で、2014年に会長に就任した。
「僕は先代に選んでいただいたと思っている」と言うが、実は亡き津田氏と面識はない。ジムとの関わりは、グリーンツダに所属し、東洋太平洋フライ級王者だった小松則幸氏を応援していたことだった。多額の不良債権を抱え、名門ジムの火が消えそうになっていく中、「グリーンツダ」の名を残したいという一心で営んでいた金融業をやめて、ジム経営を引き継いだ。
「小さい頃からいつもテレビで見ていた」と言うボクシングマニア。しかし、ジムOBでもなく、ボクシング経験もない。なぜ破綻したジムをわざわざ引き継いだのか。きっかけは09年。“応援団”が転じて個人マネジャーとして支えていた先の小松氏が、試合前の滝修行中に不慮の事故で亡くなったことだった。享年29。それまでは「新しい会長を見つけて、自分はジムのマネジャーとして支えていく」と考えていたが、すべてを捨てて「小松の代わりにこの世界で生きていく」と覚悟を決めたという。
「やると決めたらやり通す。そしてボクシングが大好きというところは、私も似ていると思う」と会えなかった“恩師”の面影をたどる本石会長。今もモチベーションは名門ジムを守るという「使命感だけ」と言う。
現在はプロ25選手。練習生もフィットネス目的ではなく、真剣に世界王者を目指す選手だけを選んでいる。日本スーパーフライ級王者・奥本貴之、同ウエルター級王者・矢田良太と2人の日本王者を擁し、名門ジムには復活の兆しが見える。2人の日本王者は、4月21日にエディオンアリーナ大阪第2競技場でともに防衛戦に臨む。