【競馬】兄弟でG1制覇へ 桜花賞でクロノジェネシスに夢託す和田保長助手
どの競技にも、親子や兄弟で活躍する選手は一定数存在するが、競馬界は特にそれが顕著だ。騎手では武豊&幸四郎(現調教師)、吉田豊&隼人、藤岡佑&康太兄弟などが挙げられる。親子や親戚関係まで広げれば枚挙にいとまがない。それはもちろん、騎手に限ったことではなく、調教師や助手、厩務員…。いずれにせよ、競馬界は他のスポーツより血縁関係が多いのは事実であろう。
今回紹介したいのは前走のデイリー杯クイーンCで重賞初制覇を飾り、今週の桜花賞に出走するクロノジェネシスを担当する和田保長(39)助手(栗東・斎藤崇厩舎)だ。コアな競馬ファンならご存じかもしれないが、今年のフェブラリーSでGI初制覇を果たしたインティを担当する和田将人(34)助手(栗東・野中厩舎)の実兄で、そろって厩舎の看板馬を支えている。なぜ二人が競馬の道を歩んだのか…。それは父である、保夫さんの影響があったという。
和田兄弟は一番上に姉がおり、熊本県で幼少期を過ごした。「父は荒尾競馬場(現在は廃止)で調教師をしていました。ボクらは記憶ないけど、ジョッキーもやっていたらしいです。ダイメイゴッツという馬で重賞(93年楠賞全日本アラブ優駿・園田競馬場)を勝ったこともあって、リーディングも何度か獲ったことがあるんです。父に連れられて、兄と一緒に競馬を見ていることが多かったです。友達と遊びに行くことは、あまりありませんでしたね」と弟の将人助手が懐かしむ。
将人助手が中学生の時に、父が調教師を引退。それを機に牧場を始め、宮崎県へ移り住むことに。中学、高校では馬術部に所属していた。「学校へ行く前に、馬に乗ることが日課でした。大変でしたね」と、まさに“馬漬け”の日々を送っていたという。
兄の保長助手は高校を卒業後、中央大学の馬術部に入部。そこで技術を磨き、その後は北海道浦河のビクトリーホースランチで約3年間勤務したあと、栗東・松田博厩舎に所属した。11年フラワーCを勝ち、同年の桜花賞で3着したトレンドハンターなどの活躍馬を担当。調教師の定年で解散となった16年に、新規開業した斉藤崇厩舎へ移籍した。「(競馬界に進むのは)自然の成り行きだったし、特に疑問などはなかった」とうなずく。
一方、将人助手は高校卒業後、実家の牧場で働くことに。「そのまま宮崎にいようと思っていたけど、仕事もなかったので。ずっと馬に乗っていたこともあって、自分にはこれしかなかった。(JRAは)安定していますし、その時は年齢制限もあったから受験を決意した。その後、野中先生に声をかけていただきました」。経緯は違えど、こうして兄弟二人は同じ中央競馬の世界に進むことになった。
フェブラリーSで、弟が先にGI制覇を果たした。「兄から“おめでとう”とLINEが来ました。一言だけでしたけど(笑)」。文章量だけを見ると素っ気ない感じはするものの、「仲はいいですよ。お互いに酒は飲むし、仕事以外にもいろんな話をする。よく食事に誘ってくれますしね」。フェブラリーSの後は祝勝会も兼ねた食事へ出掛けたが、初めて弟が食事代を払ったという。兄は「勝ったんだし、たまには飯を食わせろってね」と笑った。厩舎も立場も違う二人だが、父のモットーである「大事に時間をかけて馬をつくる」という教えは、そろって守っている。
桜花賞当日は、父も阪神競馬場に駆けつける。「将人は活発な性格だけど、オレは控えめやから。本当は勝ってから(新聞で)取り上げてほしいけどな。競馬は負けることの方が多いし、GIを勝つことは大変ですから」と保長助手は控えめだが、初のビッグタイトルへ向け、闘志を燃やしているのは確かだ。
調教師の息子として幼少期から競馬に携わってきた和田兄弟。いつか二人が、同じGIの舞台で戦うことも夢見て-ずっと応援していきたい。(デイリースポーツ・赤尾慶太)