【スポーツ】広島から王者へ3度ベルト挑戦も夢かなわず…プロボクサー板垣が引退
プロボクシングの元日本ライトフライ級1位、板垣幸司(35)=広島三栄=が引退を決意した。
最後の試合となったのは、2月11日に広島市のNTTクレドホールで行われた東洋太平洋ライトフライ級タイトルマッチ。18戦無敗の王者、エドワード・ヘノ(フィリピン)に挑戦したが、2度のダウンを喫するなどし、大差の判定で敗れた。
「作戦を立てて、いろいろやったんですけど、全然うまくいかなかった。試合の後、ビデオも見たけど“何をやってるんだ”という感じ。左に回るように言われていたのに右に回っていたし、相手との距離も全然詰めることができていなかった。力が落ちてるのかなと感じた」
力の限界を悟り、14年間に及んだプロ生活にピリオドを打つことを決めた。17年2月にWBOアジア・パシフィック王座、18年4月に日本ライトフライ級王座、そして今回と3度ベルトに挑んだが、いずれも判定で敗れ、タイトル奪取の夢はかなわなかった。
「悔いはめちゃめゃ残ります。やっぱりベルトは巻きたかったので。(広島三栄ジムの)藤本会長には本当に良くしてもらった。ここまでこれたのも会長のおかげ。東洋太平洋の試合の後、控え室で会長のがっかりした姿を見て本当に申し訳ないと思った」。
今でも思い返すと悔しさが込み上げるのが、王者・久田哲也(ハラダ)に挑戦した日本タイトルマッチ。試合を優位に進め、試合終了のゴングが鳴った瞬間は勝利を確信した。しかし、判定は1-2の惜敗。敵地大阪の試合が板垣に不利に働いたことは否めない。
「あの試合は本当に足がよく動いていた。パンチももらっていないし、僕のパンチも当たっていた。ボクシング人生の中でベストファイトだった。だからこそ勝てなかったことが本当に悔しい。日本チャンピオンになることが僕の最大の目標でもありましたから」
ベルトにはあと一歩届かなかったが、地方のジムでコツコツと努力を続け、34歳の時に日本ランキング1位にもなった。「(14年間のプロ人生で)うれしかったのは、たくさんの人に応援してもらったこと。テレビや新聞でも僕のことを取り上げてもらって、知らない人からも応援してもらえたのはモチベーションになっていた。こう見えても目立ちたがり屋。人に注目されたいからボクシングをやってきたところもあるので(笑)」
広島工大に進学後、ボクシングを始め、大学3年の時にプロテストに合格し、05年6月にデビューした。大学卒業後は会社員と両立しながら続けてきたプロ生活でもあった。今後については「今の会社で出世したい」と笑わせた後、「また何か自分のやりたいことを見つけていきたい。オファーがあれば講演もやってみたいです。今振り返ると、あの時ああしとけばと後悔することは多い。ボクシングで学んだことを多くの人に伝えていければと思っています」。
最後にジムの後輩たちにもメッセージを残した。「僕はベルトを巻けなかったけど、みんなは大きな花を咲かせてほしい。広島からでもチャンピオンになれるということを示してほしい」とエールを送った。6月9日にNTTクレドホールで行われる広島三栄ジムの興行でリングに上がり、ファンに感謝と別れを告げる。
(デイリースポーツ・工藤直樹)