【野球】衣笠氏の連続フルイニング出場が止まった79年は初の日本一 今年のカープは…

 広島・田中広輔内野手が20日の交流戦・ロッテ戦(マツダスタジアム)で先発メンバーから外れ、連続フルイニング出場が635試合でストップした。衣笠祥雄氏の持つ球団記録の678試合にあと43試合のところだった。

 今季は開幕から打撃不振で67試合を終え、打率・188、3本塁打、22打点。19日のロッテ戦(マツダスタジアム)でも40試合ぶりに1番に起用されたが、4打数無安打に終わり、16打席連続無安打となっていた。

 チームは交流戦に入って5カード連続で初戦黒星。19日のロッテ戦の敗戦で3勝9敗1分けとなり、交流戦での負け越しも決まった。緒方監督は開幕から守護神を務め、交流戦中に中継ぎに配置転換した中崎の2軍落ち、不振の田中広のスタメン落ちも決断した。全てはチームのためだ。

 3連覇を達成し、名将の仲間入りをしている緒方監督にとって、実績のある中崎、田中広の処遇は苦渋の決断だったに違いない。ただ、名監督は時として非情な決断も必要だ。

 カープの監督として4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた古葉竹識氏も苦しい決断をしたことがあった。2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれ、昨年4月23日に亡くなった衣笠祥雄氏の連続フルイニング出場を止めた。1979年5月28日、当時の日本記録である三宅秀史(阪神)の700試合にあと22試合と迫っていたときだった。衣笠氏も79年、打率・198と田中広のように開幕から不振を続けていた。

 スタメンを外すことを決めた古葉氏は昨年、衣笠氏の訃報に接した際に一番の思い出としてこの連続フルイニング出場を止めたことをあげた。「本人は出たかっただろうし、気持ちも乱れたようだが、応援してくれるファンのためにも負けないように選手を使わないといけなかった」と振り返っている。

 連続フルイニング出場の記録は途絶えたものの、もう一つの「記録」である連続試合出場の継続を約束していた。それが同年8月1日の巨人戦(広島)で西本から死球を受け左の肩甲骨を骨折する重傷を負った。連続試合出場も1122試合で途切れるかと思われたが、翌日に代打で出場。フルスイングで空振りの三振で記録を継続させた。

 古葉氏は「死球で肩甲骨を亀裂骨折して、とても試合には出られないだろうとわれわれは思ったが、何としても出ますと言ってベンチに入った。このとき、代打で使ったのが、連続試合出場の世界記録につながった」と話している。

 衣笠氏はこの年、最終打率・278まで上げた。チームは4年ぶり2度目のリーグ優勝を果たし、球団創設初の日本一にも輝いた。田中広に代わって20日のロッテ戦に先発出場したドラ1の小園はプロ初打席初安打を記録。チームも苦しみながら勝利した。しかし、3連覇に貢献した田中広の実力や経験は、小園以上の力と考える。連続フルイニング出場が止まった悔しさを今後の活躍にいかに結びつけるか注目したい。そしてジェットコースターのような戦いが続く広島の最終結果はどうなるだろう。(デイリースポーツ・岩本 隆)

関連ニュース

編集者のオススメ記事

オピニオンD最新ニュース

もっとみる

    ランキング

    主要ニュース

    リアルタイムランキング

    写真

    話題の写真ランキング

    注目トピックス