【野球】163キロ右腕を支えた大船渡ナインの成長 女房役が重ねた人一倍の努力
最速163キロ右腕の大船渡・佐々木朗希投手(3年)のラストサマーは、岩手大会決勝で幕を閉じた。3年間で一度も甲子園に足を踏み入れることなく、高校生活は終了。高校生の公式戦では最速タイとなる160キロを計測するなどエースばかりに注目が集まったが、実はその裏で佐々木を支えたナインも大きく成長していた。特に及川恵介捕手(3年)は“高校生最速右腕”の女房役として人一倍の努力を重ねてきた。
今夏の岩手大会決勝・花巻東戦で、大船渡・及川恵は二塁へ3度悪送球を犯した。そのうち2度は走者の生還を許す痛い失策に。六回は致命的な9点目へと直結し、がくっと肩を落とした。「負けたというのは悔いがある」。しかし佐々木抜きの戦いで、強豪相手に最後まで必死に勝機を見いだそうとする姿は印象的だった。
世代ナンバーワン投手とバッテリーを組むにあたり、覚悟よりもやや消極的な気持ちが先行していた。「朗希に迷惑を掛けないように」。小学時代からの仲だが、投げる球はとても同級生とは思えなかった。「ストレートは威力あるし、怖いなっていうのはあります」。捕ること自体が難しかった。
加えて変化球も一級品で変化量、キレが半端なかった。現チームで最初の試合だった早実との練習試合。春夏通じて甲子園に50度出場する強豪相手に、本気で挑む相棒のボールをしっかりと受け止め切れず、何度も後ろへそらした。
「パスボールとかをして、フレーミング(際どい球をストライクと判定される技術)とかでも迷惑を掛けたりしてしまった」と、4強に終わった昨秋の岩手大会でも責任を痛感した。このままではいけない-。「何とか変化球を止めて、朗希のいいピッチングを支えよう」。猛特訓の日々が始まった。
最も時間を割いたのは、佐々木のウイニングショットの一つであるスライダーを止めることだ。自らサインを出して、わかっていても捕球できない“魔球”。打撃マシンをスライダーに設定し、何度も体に硬球をぶつけながらキャッチングを向上させた。
3、4カ月に一度はキャッチャーミットのヒモを交換するほどの努力は、最後の夏に報われた。佐々木の登板した4試合で捕逸、暴投のバッテリーエラーはなし。スライダー以外にも、落差の大きいフォークを受け止めた。エース以外に登板した4投手でも、暴投1つのみ。「朗希の変化球の練習をしていたから、他のピッチャーもそらさなくなったかな」と胸を張った。
4月の侍ジャパン高校代表候補・国際大会対策研修合宿で、世代屈指の捕手が捕るのにやっとだった佐々木の球を平然とつかむ姿に、スタンドから舌を巻くファンも多かった。打撃でも1番を務め、佐々木が欠場した2試合は代役4番。6試合で24打数12安打6打点とバットでも貢献し、目指してきた佐々木に頼らないチームの象徴だった。
OBで1984年に春夏連続の甲子園を経験した吉田亨さん(52)も、佐々木の女房役に魅了された一人だ。主将だった現役時代は及川恵と同じ捕手で、「誰がすごいって言ったらキャッチャーがすごい。140キロのフォークをことごとく止めている」と興奮気味に後輩を称えた。
佐々木も最高の相棒に感謝していた。決勝後、「朗希が『ナイスキャッチャー』と言ってくれた」と及川恵。4月の同合宿で163キロを出し、他の捕手に先を越された“大台”も盛岡四との4回戦で体感できた。「驚いた。これが160キロかと」。甲子園に届かなかったのは、もちろん悔しい。ただ、最高の投手を支えてきた1年をかみしめ、すがすがしい表情で高校野球を終えた。(デイリースポーツ・佐藤敬久)