【野球】世代の象徴だったヤクルト・寺原、引退後のささやかな“夢”
穏やかさに、さらに輪がかかったように見えた。「すっきりしています」。9月中旬の戸田球場。現役引退を決めたヤクルト・寺原隼人投手の顔には、言葉通りの笑みが浮かんでいた。
昨オフにソフトバンクを戦力外となり、今季ヤクルトに加入。開幕ローテに食い込み、2勝を挙げた。だが、7月以降の1軍登板は1試合のみ。「1年間チャンスをいただいたけど、結果を残せなかった」と身を引いた。
先発した9月11日のイースタン・リーグ、巨人戦で痛めていた左臀部(でんぶ)付近が悪化。打者5人、0/3回4失点のマウンドが、最終登板となった。
1983年生まれ。世代の象徴という印象を強く感じるのは、やはり日南学園時代のインパクトだろう。2001年夏には当時甲子園最速となる154キロを計測。スカウトのスピードガンでは158キロが出た。ドラフトの目玉として4球団が1位指名で競合した。
プロ18年間で通算73勝81敗23セーブ。優れた成績だが、記録で上回る同学年の選手はいる。それでもいまだ残る“寺原世代”というイメージ。「甲子園で名前を覚えてくれた。そのおかげというのはありますね」と感謝していた。
ダイエーを皮切りに、横浜、オリックス、ソフトバンク、ヤクルトと渡り歩いた。先発、中継ぎ、抑え。ケガも、FA移籍も、トレードも、戦力外も経験した。「いろんな球団に関わることができた。そういう選手は、なかなかいない。いい経験をさせてもらった。運がいいのかなとも思う。(投手の)全てのポジションをやらせてもらえたのも、いい思い出」。やりきったという清々しさが、表情から感じられた。
今季初めて寺原に接したが、取材対応はいつも丁寧で穏やか。飾らない人柄を感じられた。現役生活を完全燃焼して迎える、新たな人生のスタート。今後やりたいことを尋ねると、「経験を若い子にも伝えたい」という指導者の道のほかに、もう一つ挙げた“夢”に心を和まされた。
「スタンドでビールを飲みながら、野球を見てみたいですね。やったことがないんで」。屈託のない笑顔。少しの間、剛腕を休めたら、世代の象徴としてまだまだ球界に貢献してもらいたい。(デイリースポーツ・藤田昌央)